Wednesday, May 11, 2011

空気の売り買いをはじめた人類

映画「不都合な真実」に嘘の匂い

映画「不都合な真実」を見た時、釈然としないものを感じた。 アルゴア元合衆国副大統領が制作したドキュメンタリー映画で、CO2(二酸化炭素)による地球温暖問題を訴えたものだった。これをキッカケにCO2排出の規制がはじまり、環境問題が世界で注目される事となった。この運動が評価され、アルゴア氏とIPCC(気候に関する政府間パネル)と言う団体には、ノーベル平和賞が送られた。


人類のおごりは、空気の売り買いにまで達した。
なんと愚かなのだろうか。


しかし、この映画の内容とアルゴア氏の自信ありげな笑顔に、私は「嘘」を感じた。もちろん、私の勘違いかもしれないのだが、普通のドキュメンタリー映画ではありえない、なんとも奇妙な匂いが嗅覚を刺激したのだ。深夜のテレビショッピングを思い出した。付けるだけでお腹の脂肪を燃やせる魔法の器具や、一部屋丸ごと数分でペンキ塗りしてしまう魔法の大型スプレーなど、、、ありえない代物を大真面目に売っているのが滑稽で笑ってしまう。そんな感覚を、この映画から感じたのだった。「アルゴアさん、一体何を売りたいのですか?」

ただ、その映画は、深夜のテレビショッピングのような安っぽい広告ではなく、世界最強の広告代理店が請け負った巧妙で大掛かりなものだった。グラフや写真を巧みに用いて、自信いっぱいに語られる。ただ、頭には訴えても、まったく心には届かなかった。奇妙な感覚としか言いようがない。

地球温暖化問題は、原子力発電のキャンペーンだった?

しばらくして、地球温暖化と人為CO2問題のキャンペーンの仕掛人は、原子力発電の利権グループとつながっていると言う話を幾人から聞いた。ネット上で、関連記事を見つけるのも容易だった。いつもは陰謀論的な記事には、それほど深入りはしないのだが、その時ばかりは、あり得る話だと思った。自分が感じた奇妙な感覚に説明がつくからだった。そう、映画「不都合な真実」と地球温暖化問題は、原子力発電のキャンペーンだったと言う可能性だ。その頃「原子力ルネサンス」と言う言葉が、アメリカ発の新聞記事でしきりに踊っていた。

考えてみれば、地球の環境には様々な問題がある。アマゾンの森林破壊や、アフリカや中国内陸部の砂漠化、酸性雨、オゾンホール、諸処の大気汚染や水質汚染、植林と花粉症、科学肥料や農薬、遺伝子組み換え種で荒らされた畑地など、考えつくだけでもいくつもある。それが、アルゴア氏の運動によって、他の環境問題は後回しにしても、「温暖化と二酸化炭素の排出問題が最重要」と奇妙にも集約されてしまった。環境問題は、そんな単純なものなのだろうか?
 
「CO2の排出は地球の温暖化の理由であり、そのせいで地球が悲鳴をあげている。早く手を打たないと恐怖の未来が待っている」そんな国際世論は疑いない事実として受け入れている。そして、その救世主がCO2を排出しない原子力発電であり、人類はこれから「原子力ルネサンス」を起こさなければならない。世界のその大きな流れは、誰にも止めようがなさそうな勢いがあった。新聞を読む限りでは、国家規模の受注獲得合戦が激化して来ている様子だった。


 巡礼中は地球との充実した対話にひれ伏した。
どうしても温暖化の理由が人為CO2とは思えない。


私は、サンチアゴ巡礼で800kmをひと月かけて歩いた事がある。地球との充実した対話に、ひれ伏した。耳をかたむけると、地球はとても饒舌に語ってくれた。人類の最大の一心同体のサポーターは地球であり、地球自身も生命体だったのだ。そんな感覚で、試しに地球にも直接に聞いてみた。どうしても、温暖化の原因が人為CO2だとは思えなかった。

懐疑論者の説

気になって調べてみると、地球温暖化懐疑論者がいる事を知った。地球が温暖化している事さえ認めていない科学者もいるらしい。実際に、ノーベル賞が与えられたIPCCの地球温暖化のデータの捏造が明るみが出て、クライメート事件と名付けられた事もあった。なぜデータを捏造までして、世界に訴えたいのだろうか?

地球温暖化は認めても人為的なCO2が原因ではないと言う説を唱える学派もあるらしい。地球の温度が上がったり下がったりするのは自然現象だというのだ。1970年代には、CO2の排出量が増えているのに、寒冷化していた時期もあり、説明がつかないと言う説だった。もう一つの説は、地球の温度が上がると、水温も上昇して海に溶けているCO2が空気中に放出されるというものだった。地球の温度とCO2の空気中の濃度が連動するのは当たり前の事だとする説だ。

地球の環境は常に一定とは限らない。むしろ、ダイナミックに環境を変えながら今に至っている。例え地球が温暖化していたとしても、人類が出すCO2のせいだけではないと、私はどうしても思ってしまうのだった。たいした確証もデータもないにも関わらず、地球温暖化の人為CO2悪玉説と、原子力ルネサンスの大きな流れには裏があり、なんらかの嘘があると言う事が、いつのまにか私の心の中で確信となっていた。私は危険な思想に入り込んでいるのだろうか?それとも私の直観が正しいのか?


市民に恐怖をあおると言う点で一致する社会の頂点、旧勢力と新勢力

我々のピラミッド型の資本主義の社会構造の頂点には武器商人や、石油、石炭などのエネルギーの源を握る者が君臨していると言われて来た。強いものが弱いものを戦いで押さえ込み、支配してきた。誰に武器を売り、誰がエネルギーを握るかで、大まかに勝負は決まってしまうと言えよう。ブッシュ家なども、その勢力の一角と言われている。合衆国などでは、軍需産業と官民が結びついて軍産複合体が形成され、戦争が長い期間ないと経済が疲弊してしまう。基本的に20世紀の途中までは、戦争の種はどこにでもあり、その産業構造も安泰だった。ただ、冷戦が終わった後、理由のよく分からない戦争が続いている。仮想にでも、敵をつくって、戦争を仕掛けないと経済システムが動かないからだ。
元々、戦争と言うのは領地拡大などをめぐって、自分の利益の為に仕掛けるものであった。現在、人類は領地拡大などではなく、石油利権の獲得や、経済システムの拡大のために戦争を欲している。そして、戦争には大義名分が必要だと考えている。自分の利益のためなのは、同じなのだが、「大義名分を必要とすると言うプロセス」に、なんらかの社会構造の成長が見られる。しかし、その為には仮想でも敵を作り上げなければならない。その敵が市民の「怖れ」をあおり、人を殺し血を流す事の大義名分を得る。
軍需産業も大企業なわけだから、大きな広告費が使えるはずだ。その広告費は政治家の選挙費用や、様々な種類のプロパガンダに使われていると考えられる。

そんな旧勢力の社会の頂点に挑むのが、アルゴア氏などの原子力ルネサンスの新勢力と言えるだろう。最近ではマイクロソフトの創業者のビルゲイツ氏も次世代原子力発電に投資し、講演会などで啓蒙しているらしい。ただ、仮想の敵は他国ではなくて「自然環境」である。地球温暖化と石油、石炭の人為的な消費で出るCO2の悪玉説を利用して、世界世論も味方につける。そして、迫り来る未来の自然の「怖れ」をあおり、CO2を出さない原子力推進の大義名分を得る。

旧勢力と新勢力、双方とも市民に「怖れ」をあおるという手法で一致する。「怖れ」こそ、市民をあやつる最大の道具なのだ。


 パリ近郊を旅していた時に、列車の車窓からふと撮った写真。
異様なエネルギーを発し、インパクトのある風景だった。
原子力発電所だとわかったのは何年も後だった。


怖れの対象が戦争から自然環境へ

ただ、原子力発電は必ずしも、環境にやさしいとは限らない。光害(ひかりがい)、温排水、放射性廃棄物などの問題がある。

原子力発電は、一度スイッチをONにすると核分裂がはじまり、発電し続ける傾向にある。スイッチをONにしたりOFFにするのは至難の技だと言う。使用料の少ない夜に発電量を下げる事ができない。それで、夜に電気を使う事を推奨する事になる。夜がどんどん明るくなり、光害(ひかりがい)という公害が生じる。多くの生態系は夜に活動するものも多い。夜の闇が来ないのだから、生態系のリズムが混乱してしまう例も多数あると言う。

原子力と聞くと、難しい仕組みの様に感じてしまうのだが、要は産業革命以来の方法と同じで、熱でお湯を沸かして、蒸気でタービンをまわす技術だそうだ。その熱量の中で、発電に使えるのは三分の一程度で、三分の二は単に暖められた水だという記事さえあった。膨大な温排水を垂れ流しにしていて、周辺の海水の温度を上げている。地球の温暖化への影響を言及する科学者もいるらしい。だいたい原発が温暖化の原因になる可能性さえあるのだ。

放射性廃棄物に至っては非現実的な年数が書かれていて驚いた。まずは、50年間は冷却し続ける必要があり、その後については決まっていない。つまり、最終的な処理については、まだ答えがないのだ。500年経っても発熱し続ける可能性もあるというではないか???もちろん、これらの記事は過激な反原発派によって書かれたものだろうし、大げさに書かれている場合もあるだろう。

まあ、しかし、仮想敵との戦争で人を殺して血を流すのを手伝う武器商人や、石油、石炭などのエネルギーの源を握る旧勢力的な世界の頂点よりも、自然環境を怖れる方法で原子力を推進する新勢力の方が一歩先を行っているのかもしれない。世界の頂点勢力が市民の「怖れの感情」を利用する事には代わりはない。ただ、怖れの対象が「戦争」から、「自然環境」と見事な変身をとげようとしていた。核の平和利用。これも人類の緩やかなる成長と受け入れるべきなのか???

「原子力ルネサンス」の大きな流れに生理的な嫌悪感を感じつつも、その大きな流れには、とてつもない勢いがあった。ただ、気を許した友人などには、なにげに意見を言う事にしていた。知り合いしか読まないミクシー日記などにも、この問題について書いてみた。私の良心の呵責だった。反対意見があっても言わないならば、それは加担していた事になる。

無害になるまで10万年???

新聞紙上などで明るい未来を指し示していた「原子力ルネサンス」を考え直すような事件が、まさか自分の国で起ころうとは考えもしなかった。2011年3月11日の震災では、いわば過激な反原発派が昔から心配していた通りに、福島原発での事故が発生した。海外のニュースでは大きく、大げさに核爆発について取り上げられた。日本のニュースが、「ただちに影響はない」と、ノン気な事を言っているのも気になった。これほどまでに、ニュースの温度差を感じた事はない。あの日以来、事故の推移にも興味があったが、原子力発電というテクノロジーそのものについても読み直した。

日本の国内だけでも、たったの1年間で長崎型原爆の1万発分のプルトニウム、広島型原爆の4万発分のウランの放射性廃棄物(いわゆる死の灰)が作られると言う。日本中の原発が、何の間違いもなく、すべて想定通り完璧に作動していても、そんな人工放射能が年々蓄積されていると言う。その処理方法も行き場もないままに。。。

放射性廃棄物が無害になるまで10万年かかると言う記事があった。フィンランドで、地下500メートルの深い穴を掘り、そこ最終処理施設つくって放射性廃棄物を埋めるというプロジェクトも実際に始動していると言う。その穴は決して10万年の間、掘ってはいけないし、近づいてはいけない。10万年もの間、それを語り続けなければならないのだ。人類が地球に存在しているとも限らない、そんな遠い未来まで。

そもそも、 過去が判明している我々の歴史は2000年しかなく、現生人類のホモ・サピエンスの全歴史さえ、25万年前しかないと言うのに。

そして、万が一、事故が起きた時には、死の灰がふり、住めない土地が出来てしまう。事故の規模によっては、その住めない期間が天文学的に長い事もあるだろう。

完璧に作動していても放射性廃棄物で局所的に、間違えて事故が起これば広範囲に、生物が住めない死の土地が出来てしまう。しかも、時には天文学的な年月に渡って。

これは、地球に対して申し訳ないのは言えないだろうか。自然の生態系と相容れないものを生成して、地球に汚点を作っている。もし、地球に感情があるならば、これに対しては怒っても仕方ないと感じてしまう。「生態系の循環システムを超えるものを振り回すのはよしてくれ」と思っているであろう。地球との対話では、そんな言葉が聞こえたような気がした。

原子力以外にも危険なものがあるだろう?という話もある。しかし、放射能が生物の遺伝子に直接的にダメージを与える点で大きく異なる。生命への冒涜とは言えないだろうか。

石炭や石油を燃やしてCO2が増える方が、まだマシではないか?たとえ、それが理由で温暖化したとしても、それは生態系の循環システムの中での営みなのだから。ただ、それを謳歌しすぎるのもいかがなものか?という議論はあっても当然だ。まあ、でも人類が自分達の首を締めているに過ぎない。空気が汚れ、やがては枯渇するまで掘り続けるだろう。人の殺し合いや戦争も、人類の愚かな営みと言えよう。しかし、それは地球に申し訳ないと言う程の事でもない。それも生態系のシステムの中での出来事に過ぎないのだ。

地球の視点からみると、環境問題が、生態系内のものならば、人類を滅亡させてしまえば環境を元に戻すのはさして難しいことではないはずだ。ただ、放射能は人類を滅亡させても、かなり長い間残る事になる。地球にもお手上げだろう。


とても長いモスクワの地下鉄のエスカレーター。
地下空間は核シェルターの役割も兼ねていた。
冷戦時代は核抑止力の競争でもあった。
ただ、その時代は完全には終わってはいない。


市民が怖れを克服した時、世論誘導は極めて難しいものとなる

戦争も愚かだが、もっと愚かなのは人類が「空気の売り買い」をはじめたことだと、私は思っている。CO2排出権という奴だ。おそらくは原発利権を持つ新勢力が地球温暖化を利用して、CO2悪玉説を盾に空気の売り買いのビジネスを思いついたのだろう。石油、石炭を燃やすためには空気を買わなくてはならない。なぜなら、それは悪で未来の恐怖だからだ。世界の世論もまんまとその方向に傾いた。空気にまで値段を付けた彼らの目論みは、崩壊すべきである。人間のおごりが頂点に達したと、私は考える。

武器商人や石油、石炭などのエネルギーの源を握る旧勢力の世界の頂点に関しては、その愚かさに、良識のある市民は気がつきはじめている。 それに挑む原発利権と温暖化利用の新勢力。これから、彼らの新しいカラクリに着目する目覚めた市民も増えて欲しいと願っている。

遠い未来の事になってしまうかもしれないが、この巨大な権力の両方が共倒れするような事は起きないだろうか?原子力発電の技術は、核爆弾をすぐにでも作れると言う。それは間接的に核抑止力の軍事バランスにも貢献する。石油石炭軍事の旧勢力と、原子力の新勢力とは、複雑にからみあっているのだ。旧勢力の一部の陣営がそのまま新勢力に流れたり、その逆も簡単にありうるだろう。投資家達などのお金がどこに流れるかは、その時流で自在に変化するものなのだから。

もし、彼らが共倒れする様な事があったら、そんな時、やっと新しい健全な環境産業が育つような気がしている。まったく新しいエネルギー様式も世界に顔を出すに違いない。今、私たちが議論している原子力、火力、風力、水力、太陽光、地熱、ガスタービンなどは、その新しい発電様式が産まれるまでのつなぎなのではないかと、なぜか私は直観し、夢を見ている。友人達にも、そんな夢を見て祈ってもらいたい。そんな友人達が増えれば増えるほど、可能性が高まり、実現の時期も早まる事だろう。志ある科学者の努力が、どうか報われますように。 

我々一般市民が「怖れ」を克服した時、新旧勢力ともに、世論の誘導は極めて難しくなる。簡単な結論だが、それがキーだ。彼らは「怖れの感情」を利用して世論を誘導してきたのだから。ピラミッド型の社会構造そのものが崩れる可能性は、一人一人の心にかかっている。我々の心が世界を作っているのだ。

一つの帝国やシステムが、永遠に続く事はない。時代が移りゆく事も「怖れて」はならない。

ところで、人の感情の根元を探っていくと二つの感情に行き着くと言う。 それは、「愛」か「怖れ」。「怖れ」からくる感情を克服すればするほど「愛」からくる感情が増えていく。まずは自分の胸に手を当てて、自分の感情を見つめてみたい。