Thursday, December 20, 2012

行方不明の友人、聞こえて来た声


同窓会にこないS

私が卒業した大学は、伝統的に海外志向が強いことで知られる。海外の大都市には、たいてい同窓会組織があり、私が住むミラノでも、時折ながら会合が開かれる。最近の傾向としては、若い人なども遠慮なく参加する事だろう。それぞれの属する世界の裏話などで盛り上がり、知見や友人の輪を広めるようなものとなっている。先輩に対する大げさなお酌などは必要ない。

その年の会合は、日本的に言えば、忘年会シーズンに行われた。ミラノの冬は、空気が湿っているせいで太陽の光も届きにくく、暗く寒い。考えようによると、みんながどこかに集まって、美味しいご飯でも食べたり、お酒を酌み交わすには最高の季節とも言える。スカラ座のオペラシーズンが冬なのも、うなずける。こんな冬でも、せめて楽しくやろうよ!と言うミラネーゼの心意気なのだ。

霧のミラノ。Vittorio Emanuele通り。光が柔らかい。


このシーズンに抵抗力の落ちる事もある私はその年の忘年会シーズンは、疲れ目が極限に達していたせいか結膜炎気味に目が赤く充血していた。撮影での目の酷使と、コンピュータースクリーンのバックライトが疲れ目に追い打ちをかける。目薬を差しても、目の前が霞んで良くは見えなかったのをよく覚えている。

その忘年会を兼ねた同窓会は、いつもの中華レストランでのいつもながらの雰囲気だったのだが、ひとつ不可解な事があった。出席するはずのSが来ていなかったのだ。割と律儀な性格のSの事だから、来ないなら携帯で連絡をよこすはずなのだが。。。同窓会の途中に、何度が電話をしてみたが、返事もなし。不思議な事もあるものだ。まあ、そのうち何か言ってくるだろうと、あまり気にせずにいた。


ルームメートからの電話

次の日の朝、、、Sのルームメートからの電話のベルで飛び起きた。Sが行方不明だと言う。いつもは、おおよその帰宅時間なども伝えるSだっただけに、数日帰ってこないのは、絶対に何かがおかしいという話だった。

確かに、それはおかしい。出席予定だった同窓会に無言で来ないのも不思議としか言いようがなかったのだ。

バイオリン制作をミラノで学ぶS。彼の主な行動範囲は、バイオリン制作の学校、師匠の工房とアパート。彼のルームメートを中心にして、学校の先生や友人達、我々同窓会の仲間達で、知恵を出し合い手分けして情報などを集める事とした。

同窓会メンバーの意見で、警察への捜索願いだけでなく、在ミラノ日本領事館にも行方不明捜索願を出そうと言う事になった。それで日本の両親にも連絡が行く事になるだろう。ここは、「なるべく心配をかけない様に」などと心遣いをしている場面ではない。どんな手を使ってでも探す事が先決だろう。

まずは、共通の友人達に電話をかけまくった。Sの最近の様子、最後に会ったのはいつか?できるかぎり、様々な人たちと話した。しばらくすると、電話が熱くて持てなくなるくらいに加熱していた。だが、特別に不思議な様子は、何一つ見当たらなかった。

ただ、彼のブログには、「最近、イタリアの銀行の口座関連で厄介な事に巻き込まれている」と書かれていた。東欧の都市で現金が勝手に引き出されていたりしていて、その対応に追われているという事だった。

同窓会の先輩は、ルームメートにSの部屋へ入って、コンピューターのEメールの内容なども見てもらう様に提案した。まず分かったのは、Sの携帯電話が部屋にあったと言う事だった。私たちが、いくら彼に電話してもつながらなかったわけだ。部屋はいつも通り雑然としていて、片付けられていた様子はなかったと言う。コンピューターのメールのやりとりなども調べてみたのだが、特別な内容はなかった。

 Sに修復してもらった私の祖父のバイオリン。
バイオリン制作者はイタリア語では「Liutaio」と呼ばれ、
ビオラ、チェロ、ベースなどの弦楽器全般の制作と、古い弦楽器の修理修復が仕事となる。


行方不明、考えられるあゆる可能性

どんな可能性があるのだろうか?ルームメートや、同窓会メンバーと話した。

まずは自殺の可能性。私はそれはないと思ったのだが、人の内面は分からないものだと説得されると、確かにそうかもしれないとも思えて来たのだった。

北朝鮮の拉致。Sは元々、理工学部の卒業で、カメラメーカーで精密機械の設計をしていた。西洋芸術にも通じているインテリで、今やバイオリン制作者になろうとしている。ある意味では変わり種でもあり、北朝鮮などにとっては、マルチに使える人材なのかもしれない。可能性がないとは言い切れない。

なんらかの理由で病院に運ばれている可能性。または、なにかの事故で死亡してしまった可能性。いくつあるかわからないミラノ市内の病院などをしらみつぶしに探して歩くのは、現実的に無理で、何週間もかかるだろう。それよりも、警察と領事館に捜索願いを出しているので、もしそうならすぐに出て来ても良いはずだった。

他殺。例えば、ルームメートなどが殺人鬼で、押し入れに死体遺棄されているとか。。。

駆け落ち?まあ、それなら良いのだか、そんな粋な奴だったのだろうか?

そして、彼のブログに書いてあったイタリアの銀行口座が、東欧で引き落とされていると言う事件に本格的に巻き込まれた可能性。東欧マフィアによる誘拐など。

こういう時は、すべての可能性を考えてしまう。そして、どの可能性も、まったく否定する事はできなかった。インターネットで、「海外 行方不明」と検索すると沢山のページがでてきた。毎年、数百名の日本人が海外で行方不明になっていて、その大部分は未解決のままだと言う。Sも、そんな日本人の一人になってしまうのだろうか?

なんの手がかりもつかめないまま、時間が過ぎていった。Sが行方不明になって、数日後の日曜日は、日本人学校で毎年12月に行われる年一回のお祭り「La Festa」があった。それは、お茶、尺八、折り紙、書道などの日本の文化や、餅つきやお団子、おでん、お弁当などの食文化にも触れようと、在ミラノの日本人や、親日のイタリア人が大勢来るイベントだった。一度も行った事のないそのイベントにも、初めて訪れてみた。たくさんの日本人の友人とすれ違った。なにかSの手がかりはないかと各友人に聞いてみたのだが、新しい情報はなかった。ただ、たくさんの人が行方不明の事をすでに知っていて心配していた。無事を祈願して、祈りを捧げていると言う話も聞いた。日本人のコミュニティーというのは、普段から、そんなに強い結びつきがあるわけではない。でも実は、我々海外在住者にとって、日本人の友人と言うだけで、お互いをとても近いと感じている事も分かった。Sの行方不明についても、人ごとではない出来事として、みんな親身に思っている様子だった。思えば、家族や親戚もいなく、単身で来ている人も圧倒的に多いわけで、いざと言う時に頼れるのは、同郷人である場合も多い事だろう。

Sのアパートに立ち寄ると、同窓会のメンバーの一人も来ていた。ルームメートは、自分の携帯とSの携帯を持ち、ひっきりなしになる電話を、2丁拳銃のように両手で対応していた。その丁寧で心のこもった対応に、彼の人柄を見る様な気がした。一つの可能性が消えた。このルームメートが殺人鬼なわけがない。そして、確かにSの部屋の中は散らかっており、自殺の可能性もないと私は踏んだ。自殺するなら、もう少し整理する事だろう。あと、私の知っている限りのSは、思慮深くとも、思い詰めるタイプではない。

Sが行方不明になってから数日は、スパイ映画の登場人物の様に考えられるすべての可能性を想定しなければならなかった。脳みそのいつもと違う場所を使っているのが、自分でも手に取るように分かった。それは、私の中のなにかが特別に冴えてくるような感覚でもあり、それからくる疲労感は、肉体でも精神でもなく、もっと全体的というか、いつもと違う不思議なものだった。

結膜炎気味の疲れ目に目薬を差しても、光が強いと眩しすぎてよく見えない状態が続いていたのだが、なんとなくミラノ市内をクルマで走らせてみた。そして、カトリックの勉強を私に授けてくれた、シスターマリアの所に向かった。彼女は日本に20年近く住んだ事のあるカトリックの修道女で、ミラノの修道院で日本語とイタリア語を対比しながら聖書の勉強会をしたり、日本語のミサを企画したりしている。修道院の敷地内はミラノの中心部にありながら、完全な静寂につつまれており、独特な雰囲気がある。お御堂では、いつも世の平和を願う修道女達が、人生のすべてをかけて祈りを捧げている。Sはバイオリン制作を学ぶ身で、バイオリンやビオラなどを奏でる事ができた。彼自身はカトリック信者という訳ではなかったのだが、友人の輪のつながりで、クリスマスの日本語ミサなどで弾いてくれた事があった。それでシスターマリアもSの事をよく知っていたのだ。あと、私もいつもと違う疲労を感じていた事もあり、そんな修道院に行って一息つきたいという思いもあった。シスターマリアはいつもの笑顔で迎えてくれたのだが、Sの行方不明の話も、まったくうろたえる事なく、真剣に聞いてくれた。修道女と言うのは、意外に血なまぐさい話にも慣れているのだ。独裁者や軍部が支配する国などに派遣されている修道女仲間とは暗号でコンタクトを取りながら、なんらかの救済を試みている話も聞いた事があった。一部の修道女は世の闇にも、それなりに詳しいものなのだ。一通り聞いて、東欧マフィアはかなり質が悪いという話にも及んだ。「いずれにしても、祈っておきますから」と言ってくれた。祈りのプロフェッショナルの言葉に、なんとも心強いモノを感じた。

 
朝霧の電車通り。
ミラノの電車の線路は、車道を共有する。
線路の上はクルマのタイヤが滑りやすいので、とても注意して運転しなくてはならない。


先輩との電話を切った後、、、聞こえてきた

私達がそれまでに集めたすべての情報をつなぎ合わせると、行方不明になった日の夕方に韓国人の女性のクラスメートが、Sが学校から家に帰る様子をバス停で見かけたのが、彼に関する最後の情報だった。学校がVia Ripamonti、家がPiazza Napoliの近くなので、その日の彼の行動範囲はミラノ市内の南部。普通の住宅街が続く何の変哲もない地域なはずなのだが。。。しかし、一体何が起こったのだろうか?

その日曜の夜の9時頃、同窓会の先輩と電話で話した。「いち外国人の私達が警察に捜索願いをだした所で、真剣に警察が動くとは思えない。日本の外務省からイタリアの総務省へ掛け合ってもらう方向性で、私たちも動いた方が良いのではないか?それこそ、同窓会組織には外交官もいることだろう」。数日前の同窓会の和やかな会合からは、想像もできないような殺伐とした話の内容だった。そして、会話の最後に、その先輩から「仁木さんって、そう言えばちょっとした霊感がありますよね?どうですか?」と質問をうけた。私は確かにシンクロニシティー(偶然の一致)が頻繁に起こったり、自分が光に包まれるのを見たり、夢などで具体的な言葉や地名などのメッセージを受けとる事はあった。だが、お化けが見えたり、彼らと話したり、人の前世や未来をズバリと言い当てる様な世間一般の霊感とは違うものだった。いわゆる人を驚かす様な当てものではないのだ。「いや、そういう霊感じゃないんすよね」と言って、まずは電話を切った。

その後「んー、霊感ねえ」と想いながら、何となく居ても立っても居られないような感覚に襲われた。心のこもった対応をしていたルームメート、多分日本で何がなんだか分からないまま心配をなさっているご両親、そして我々ミラノの友人達の無事を祈る気持ちが尊く感じた。そして、悪気のない、人間の良心のエネルギーのカタマリの様なモノが私の中に入り込んで来た。そのパワーが私を突き動かしはじめた。

先輩との電話を切った後、「Niguarda」というミラノ市の北はずれの地名が聞こえるような気がしていた。それは音として「ニグアルダ」と聞こえるようでもあり、文字としてフラッシュバックのように「Niguarda」と見えるようでもあり。。。

例えば、バナナを仕事帰りに買わなければならないとしよう。忘れないように、「バナナ」という音を耳の中で反復してみたり、「BANANA」という文字列を頭の中で考えたり、あるいは「黄色いバナナ」を絵として思い返したりする事だろう。受験の勉強などでも何かを覚えようとする時は、そんな感じで脳の中で反復しながら覚えたはずだ。

とにかく、そんな感じで、「Niguarda」という声が、私の意思とは関係ないところで、頭の中で勝手に反復していた。しばらくすると、それがうるさいぐらいに、こだましてきた。しかし、確かNiguardaと言うのはミラノの北の地域なはずで、Sの行動範囲はミラノの南なので、まったく逆方向だった。理性的にはあり得ないと思ったのだが、興奮状態で体が勝手に動いた。

この「Niguarda」と言うのは一体なんだんだ。。。「なんて自分はバカなんだろう、そんな事あるわけないのに」と思いつつもコンピュターの前に座り、スペルもよく知らないのにも関わらず、適当に検索エンジンに「Niguarda」の文字を入れてみた。トップにはNiguarda地区の病院のウェブサイトが出て来た。そう言えば、高速道路を降りてミラノ市内に向かっている時などに、病院のマークにNiguardaと書いた標識を見た事があった。Niguarda地区には大きな病院があるのだろう。そして、そのサイトを見てみると、探すまでもなく、すぐに救急病棟の電話番号が目に飛び込んで来た。
Niguarda病院の標識

そういえば、救急車でボランティアをしている友人が、病状によっては、病院の得意不得意があり、遠くの病院に運ぶ事もたまにあると言っていたのも思い出した。しかし、病院なら警察か領事館が、まず最初に調べてくれているはずなのだが。。。

様々な思いや考えがよぎったものの、イチかバチか。とにかく、その勢いで救急病棟の電話番号に電話してみた。
「自分の友人が行方不明なので、ここ数日の間、探している。もしかしたら、そちらの病院に運ばれているかもしれないので、調べてもらえないか?」
私の興奮とは裏腹に、電話の向こうでは、極めて普通の軽い感じの事務的な応対だった。

そして、Sの名前を口頭で伝えると、なんと「その名前なら木曜日の夕方に、ここの病院に運ばれて来たって記録があるよ」と言う。私の興奮がピークに達した。Sは、ちょうど木曜から行方不明だったのだった。「で、彼は今どうしてるかわかりますか?生きてるのか、死んでるのか?今、どこにいるのか?」と聞くと、「明日の朝にまた電話してくれる?」とそっけない返事だった。もう夜9時過ぎで病院自体は閉まっているし、救急以外は時間外だから、そういう特別な対応はできないらしい。

しかし、糸口はつかめたのだ。興奮が冷めないまま、すぐに先輩に電話した。「そういう霊感じゃないんすよね」と言って電話を切ってから、15分も経っていなかっただろう。いつも冷静な先輩もその時ばかりは「えー、すごいですね」と声をあげた。「この場面は、日本領事館に連絡するべきだろう」との先輩の即座の判断で、担当外交官にすぐに連絡する事になった。あとは、外交官が、なんとか調べてくれるはずだ。

そして、一時間もしないうちに、外交官が病院に行ってSの無事を確認してくれて、私達にも連絡が来た。外交官には特別なアクセス権のようなモノがあるらしい。病院が閉まっている日曜の夜だったにも関わらず、Sが寝ていたNiguarda病院の集中治療室まで行って、外交官の携帯電話から直接日本の実家にも電話をして、S自身の声で無事を伝えたと言う。事故に巻き込まれ、右側の肋骨を10カ所折っているものの、内蔵も頭にも全くダメージはなく、まったく命に別状はないと言う事だった。

まずはバスタブに湯を張り、体を暖める事にした。それは、今までに感じた事のない種類の疲労感だった。人間は普段、自分たちの脳の数パーセントしか使っていないと聞く。我々の普段の生活は、多分、脳みその同じ場所ばかりを使って、グルグルとリピートしながら生きているのだ。その数日間は、普段は使っていない脳みその箇所が作動していたようだ。スパイ映画の様な推理するための脳、そして、直観霊感の脳。オーバーヒートしそうな感じだった。

バスタブからあがり、Eメールをチェックすると修道女シスターマリアからメッセージが来ていた。「夕飯の後、修道院のシスター全員50人ぐらいで、S君のためにお祈りとマリア様の歌を捧げておきました。彼の無事を心から祈っています。なんらかの奇跡が起きますように」という内容だった。

私は、興味本位ながら、「シスター、何時頃に祈ってくれたのですか?」と聞いてみた。「夕食の後だから9時ちょっと過ぎかしら」という答えだった。ちょうど「Niguarda」という声がこだましてきて、私が興奮しながらネットで調べたり、電話をかけたりした時間と一致していた。

先輩の霊感に対する質問と、みんなの良心と、シスター達の聖母マリアへの祈りと、色んな事が味方をしてくれて、私の直観が作動したのだろう。「Niguarda」という声を聞いた通り、Sはその地域の病院にいたのだった。いくつあるか分からない病院をしらみつぶしに電話したのではなく、一本目の電話で彼の居場所を探す出す事ができた。普段の私には、こんな能力はない。


シスター達に、あの日に歌ってくれたアヴェマリアを再現してもらった。
マリアバンビーナ修道院。


Sの良心から出た行為

翌朝、面会時間の少し前に病院に着いた。集中治療室の入り口には、すでにSの携帯電話を手にしたルームメートが来ていた。集中治療室と言うからには、Sの怪我もどんな状態なのか、まったくわからない。包帯でグルグル巻きになっているかもしれない。元来、病人や病院が苦手なので、色々と想像してしまった。

面会時間がはじまってすぐ、ルームメートと集中治療室に向かった。思ったよりも元気そうなSの姿があった。麻酔で頭が多少ボーとしている感じはあるもの意識も普通な感じだった。

雨の日にクルマの車窓から撮った。
湿気のせいでガラスがくもって、よく見えない。

学校から帰る途中、冬の雨が降りしきるPiazza Napoliの十字路で乗り換えのバスを待っていた時に、Sの目の前で交通事故が起こったと言う。Sは雨で濡れる混乱した事故現場の整理を手伝い、事故で倒れていたバイクを立て直そうとしていた。その時に別のクルマが十字路に入って来て、Sの近くまで飛び込んで来た瞬間までは覚えているとの事だった。事故現場で渋滞が起こり、そのイライラがまた別の事故を起こしたと言う事らしい。結局は、救急車が4台も駆けつける大事故だったそうだ。その日偶然、携帯電話を家に忘れたせいで、誰にも連絡ができず。。。バイオリン製作の学校くらいは、調べれば電話番号も簡単に出てくるだろうと考え、看護師やドクターに連絡を取りたいと交渉を試みたそうだ。ただ、集中治療室で麻酔が効いている病人が寝ぼけた感じで言っていたので、「まあそれよりも、今はゆっくり休め」と言う感じだったそうだ。加えて身分証明書を持ってなかった為、名前を聞かれて口頭で答えたのだが、日本人の名前なので最初の記録はスペルが間違っていたとの事だった。それで警察や領事館が探せだせなかったのかもしれない。私が電話した時にはスペルを直した後だったのか、もしくは、彼が運ばれた救急病棟にピンポイントで、しかも口頭で聞いたために、スペルミスがあっても探し出せたのかもしれない。Sの名前を発音する時に、私もS同様に日本語訛りで発音したのが、効を奏した可能性もある。。。いずれにしてもSは生きていた。しかも、淡々と現実を受け入れていて、想像以上にしっかりしていた。

色々と話している間に昼食の時間になった。「イタリアの病院食は意外に美味いんだよ。イテテ。ちょっと手伝ってくれる?」と、Sがノン気な感じで言った。

その頃には、私の結膜炎気味の疲れ目の充血も完全に直っていた。

Sが事故にあった状況は、目の前で起きた事故に手を差し出していたと言う人間の良心が元になっていた。事故そのものや怪我は大変な事だったとは言え、色んな意味で人間の良心がぐるりと一回転した様な出来事だったと、私は思っている。

退院した後は、マッサージなどのリハビリに励みながらも、バイオリン製作の修行を続けていた。あの頃、体の右側は疲れやすいと言っていた。そんな経験が、その後の制作活動や、バイオリンの音にどんな影響を与えるのだろうか?現在では、そんなミラノでの修行も無事に終え、日本でバイオリン工房を開いている。


偶然の意味を読む解く

「Niguarda」しかし、あの声は一体誰の声だったのだろうか?私は、あの声を発していたのは、聖母マリアだと思っている。以前、異次元の扉が開いた時、聖母マリアが話しているのを垣間みた事があった。ただ、その時は話の内容が分からなくて、悔しい思いをした。今回は一言とは言え、重要なメッセージをくれ、理解できた。そして、その声を聞いた同じ時間に、聖母マリアに捧げる祈りの歌「アヴェマリア」を修道女達50人程が歌ってくれていたと言うではないか?単なる偶然かもしれない。ただ、信仰とは、その偶然の意味を読み解くところからはじまる。もしくは、未来の科学は、こういう現象を論理的に説明している事だろう。とんだ災難にあったとは言え、こんなチャンスを私にくれたSにも感謝したい。

蛇足になってしまうかもしれないが、映画「スター・ウオーズ」で、師匠オビ=ワン・ケノービの「フォースを信じろ」という声を聞いて、ルーク・スカイウォーカーが戦闘機の照準装置をはずす闘いのシーンがある。それが幸いして、見事、ターゲットに命中する。僭越ながら、かつバカにされるのを覚悟で言うと、Sを探していた期間、私は疲れ目が結膜炎気味に充血していて、目がかすんでクリアに見えなかったのを、それになぞらえたい。写真という視覚芸術に携わりながらも、視覚や表層にとらわれていては、物事が的確に見えないという事もあるのではないか?我々は目を使いすぎているのかもしれない。五感どころか、第六感や祈りも駆使して物事を捉えなくてはならないのだろう。我々が普段見えている世界は、とても窮屈に限定された狭い視界にすぎないのかもしれないのだ。