Sunday, August 15, 2010

エルサレムの聖マリア

20代、許す限り旅をした。数ある訪れた場所の中で二カ所、また必ず戻ってきたいと強い縁を感じた場所があった。一つがイタリア。思った通りに、戻ってくる事ができた。それどころか、現在こうして住んでいる。

もう一つの場所は、イスラエルだった。十年以上前に一度訪れたきり、再訪の機会は、まだない。

 [徴兵前の抱擁]

イスラエル行きを決めたのは、知的好奇心からだった。多くの戦争の火種が、そこから来る。なぜ、イスラエルなのか?そんな漠然とした疑問があったのだ。

まずは、飛行機の窓から見えるエジプト領の紅海沿いのシャルマシェイク空港に驚いた。滑走路が見えなかったからだ。砂漠に直接降りて行くように見えたのだ。徐々に飛行機が高度を下げて、着陸しようとすると飛行機の風が砂を舞い上げて、滑走路が顔を出した。滑走路がうっすらと、砂に覆われていたのだった。

[行き来する車は、みんなの交通機関となる]

エデンの園があってもおかしくないと思わせる場所

そこからはエジプト人のトラックの荷台や、行き来する乗用車に乗せてもらって、ゆっくりと北上した。紅海沿いのビーチのいくつかに滞在しながら、私は旧約聖書を読んだ。
神が六日間で地球を作って七日目に休んだ話や、アダムとイブが蛇にそそのかされて禁断の木の実「リンゴ」を食べて楽園を追われてしまった話など、都会で読んだなら、おとぎの世界のような話が、紅海に浸りながら読むと現実感のあるものとなった。砂漠と紅海には、普段の論理的な思考をさえぎる様な雰囲気があった。人の少ない紅海沿いのビーチの向こう側に、エデンの楽園があっても、決しておかしくないとさえ思ってしまった程だった。そして、うむも言わせない強い存在、言うなれば「神」が存在しているような空気があるのだ。

地中海は一神教生誕の地。砂漠の自然は厳しい。アラブ語もヘブライ語も、人々はノドをかき鳴らして話す。風にかき消されて、自分の声さえ響かないような場所なのだ。アジアの様に、観察したり触ったり、跳ね返って来る自分の声で、相対的に自分の存在と位置を確認できる豊かな優しい自然とはまったく異なる。砂漠では自分の存在や位置を確認したり、次に行く場所を決める時、空をあおぐしかないのだ。それが、概念としての「神」を必要としたと言う説があるようだが、おおまか納得できる。

人生最高のキブツの食事、誰もが欲しがる土地

更に北上して、エジプトからイスラエルに入った。モーゼに導かれたユダヤの民も似た道筋を通ったのかもしれない。まずは、死海の近くのキブツに泊まる事にした。塩分のせいで体が浮く事で有名な死海も体験してみたかったからだ。キブツとはイスラエル各地に、ユダヤ人が形作った自給自足コミュニティーの事である。いわゆる共産主義が、完璧に機能している。リーダーは持回り制で、それぞれは、土地財産などの所有物をほとんど持たない。なにより一人一人の教育レベルが高く、意識的に農作業などの仕事に励むのだそうだ。子供たちは、行きたければアメリカの大学に行く事もできるし、コミュニティーが支援する。なのに将来、コミュニティーに帰ってくる必要もないのだそうだ。いわゆる宗教的なコミュニケティーでもない。共産主義は、コミュニティーが小さくて、個々の目的意識が高い時には、機能するものらしい。

そして、その死海のほとりのキブツの食堂で食べた食事は、今までの人生で食べたものの中で、最も美味しいものだった。私は感動しすぎて、泣きそうになった。その食事は、パン、ヨーグルト、野菜サラダ、卵焼き、肉のグリル、果物のような至ってシンプルなものだったが、何かが特別だった。地球のエネルギーが、ダイレクトに体に入って来て、体中の細胞のすべてがビックリして目を覚ましたようだった。

キブツのメンバーと一緒に、死海にも行ってみた。老若男女がケラケラ屈託なく笑いながら泥を塗り合っていた。海水の10倍の塩分を含むという塩湖に体を浮かべてみた。心身ともに、生き返った気がしてきた。食事といい、死海といい、それ以上のものは、何も必要と感じないであろう。私は体の芯から、満ち足りてしまった。英語で「The Promised Land(約束の地)」と言えば、イスラエルの事を指す。私は、そこが特別な場所だと、確かに体で感じた。こんなに特別な場所なら、誰もがこの土地を欲しがって、戦争するのも不思議はない。。。戦争の火種は、そんな土地の特別な磁気から来るのかもしれない。とにかく、とてつもない土地の恵みを感じた。他のどこの場所でも、こんな感覚は感じた事はなかった。

[階段の踊り場で祈る修道僧]

エルサレムでの神秘体験、聖マリアとの出会い

南の砂漠地帯、北の森林地帯、イスラエル各地を色々と回った。しかし、イスラエルの旅のメインイベントはエルサレムへの巡礼だろう。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の巡礼地であり、戦争や人類の歴史の舞台の中心地である。宗教的には完全にニュートラルだった私は知的好奇心で、各巡礼地を普通に見物するつもりだった。。。

イエスキリストが十字架に掛けられたゴルゴダの丘があったされる場所には、聖墳墓教会というキリスト教の聖堂がある。何世紀にも渡って、ローマカトリック、ギリシャ正教会など6つの教派により共同管理されていると言う。有名な教会のわりには、入り口が極端に小さかった。それは、教会を守ると言うのが、命がけだった証拠でもある。

聖堂の右の階段を上がった所が昔のゴルゴダの丘にあたり、そこにも小部屋があり聖マリア像があった。細かな記憶が曖昧なのだが、その部屋にいた正教会系の神父と、短い会話を交した後、確か聖マリア像のちかくに座った。そして、私は、何の前触れもなく突然泣き崩れたのだった。五分泣いていたのか、一時間泣いていたのかも、分からない。まったく時間の感覚が麻痺していたからだ。泣くと言っても、シクシクと涙がこぼれると言う泣き方ではなくて、声をだして激しく嗚咽していた。そして、どこからともなく無限の白い光がやってきて、優しく私を包んだ。その白い光の存在は、とてつもなく暖かい愛のエネルギーだった。私は今まで一人で旅してきたと思っていたのだが、それが完全な誤りだった事に気がついた。その存在は、常に私と共にいてくれていたのだ。そして、すべてが許されることも知った。あれ以前にも以後にも、あの時の様な100%の幸福感を感じた事はない。その白い光は、空に浮かぶ白い雲のようにフワフワしていて、360度すべての角度から、まるごと私の体をすっぽりと包んでくれた。嗚咽している間も、巡礼者や観光客がひっきりなしに、その部屋に入ってきたり出て行ったりしていた。観光地の教会というのは、人がたくさんいて騒々しく、清々しい雰囲気などないものだが、そこも例外ではなかった。私は目をつぶっていたわけではないので、そんなザワザワした人々の動きを涙越しに見ながら、平行して同時に、その無限の白い光を見ていた。自分が、矛盾なく、連続した二つのパラレルな世界に存在していた。

私は、探し求めていたわけでもないのに、いきなりそんな神秘体験をしてしまったわけだ。聖マリア像の近くに座っていたせいか、その暖かく無限の白い光の存在を聖マリアだと思うようになった。その体験以降、その白い光の存在だけには従順でありたいと思うようになった。例え、地球上のすべてのものに反抗したとしても。。。

[第三の目のチャクラが発光し、目に涙をためているようにも見える聖マリア像]

嗚咽の後、帰り際に私は、聖マリア像の写真を撮ったようだ。ニューヨークの自宅で白黒フィルムのネガを現像して、また驚かされた。その彫像が生きているような表情をしていて、しかもうっすらと涙を浮かべているように見えたからだ。「マリア様も泣いているではないか?」更に額の第三の目の所が、なぜか発光していて観音像のようにも見えた。私は写真を撮った時には、その額の光には気がつかなかった。実際、そんな光はあったのだろうか?
まあ、ろうそくか、なにかの光が反射したに違いない。ただ、二つの光が聖マリア像の両方の目に反射して、涙をためているような表情を演出し、もう一つの光が観音像のように額の第三の目のところで、ばっちり反射していた。そんな三つの光の完璧な偶然が起こるのは、とても稀な事だ。そんな偶然が、この写真の不思議な雰囲気を醸し出していた。

今では、この偶然が必然だったと解釈する事にしている。そして、あの白い光は普遍的な女神の愛の現れだと思うのだ。あの白い光を、仏教徒とは観音様と呼び、キリスト者は聖マリアと呼び分けているのではないか?東洋でも西洋でも、古代から同じ様に女神のエネルギーが降り注いできたに違いない。この写真には、西洋の聖マリアの向こうに東洋の観音様が透けてみえていると言うのが、自分なりの結論としている。
そして、現在、ヨーロッパに在住している事もあり、なんらかの形で東洋と西洋の橋渡しを担いたいと思う様にもなった。

今なら、軽く話せるのだが、当時は一年以上も私は誰にも、その神秘体験の一部始終を語る事はなかった。どう語って良いか分からなかったからだ。

旅が、人の人生を変える事もある。どう変わるかは予測できない。イスラエルへの旅行の後、世界中の宗教の比較や、仏教の密教を勉強してみたり、ヨガ、瞑想などを実践してみたりした。しかし、あの白い光の存在が、すべての私の行動の規範となっていた。堅苦しい事はなにもない。すべては許されるのだから。ただ、あの存在を裏切る事はできない。それだけは絶対な事となってしまった。そして、神秘体験から約十年後、私はカトリックの洗礼を受ける事となった。

次にイスラエルに行くとしたら、知的好奇心だけでなく、カトリック信者としても巡礼に行く事になるだろう。前回のように自由な身で行くのも楽しいだろうが、、、今の様に、自分の立ち位置がはっきりした上で見てみると、もっと深い事が分かるかもしれない。自分の信じている宗教が他よりも優れているなどと偏狭な想いを持たない限り、まだまだ面白い情報が入って来ると信じている。

戦争の火種がある場所だからこそ、「許しのテーマ」を背負って、キリストが、かの地で登場したのかもしれない。ただ、そのテーマを人々が理解したとは言い難い。

1 comment:

  1. 額にチャクラのある聖母。

    8日に神父さんを高野山に案内した時

    「高野山は聖母(マリア)が支配し
     一人息子(イエス)を通して、空海に与えた山」

    という奇想天外の私のオリジナル仮説を
    さまざまな証拠(場所や文献など)を
    見せながら説明し
    「間違いない!」
    という神父の言葉を頂き
    私がこの世に誕生した甲斐がありました。

    失われたユダヤ10部族全てが
    唯一住んでいる日本(その代表は天皇家)。
    神は日本で、もうじき何か大きなことを計画されている
    のでしょうね。待ち望んでいます!

    ReplyDelete