Friday, May 8, 2020

憧れのフォトグラファー、星野道夫さんについて

 

星野さんは、アラスカに住んで動物写真を撮っていた日本人フォトグラファー。密かな自慢なのですが、一度お会いした事があるのです。その時にサインして頂いた写真集には1992年と書いてありましたので、自分は学生時代。星野さんは動物写真家としてはすでに国際レベルで有名でしたが、ベストセラー・エッセー集「旅する木」や、ドキュメンタリー映画「地球交響曲(ガイア・シンフォニー)第3番」などよりも前でしたので、写真界以外では、そんなには知られた人ではなかったはず。


僕は地元が北海道なので、春休みの帰省中、札幌で買い物をしていた時だと記憶しています。あるデパートの最上階で、彼の展覧会が開催中である事をポスターで知りました。動物写真に憧れはなかったものの、星野さんが撮影する写真には、それぞれの動物の性格だとか家族の物語、悲しみや喜びなど、彼ら動物の魂が写っていて、他の動物写真との格の違いを感じていました。まだ、自分は写真を志すことを決める前でしたが、興味津々でデパートのエスカレーターを上っていった感覚を思い出します。

ひと気のない静まり返ったその写真展会場には、なんと星野さん自身がいて、ゆっくりと話す事が出来ました。それ以前に見たドキュメンタリー番組で「熊がいそうな地域でも、銃を持って自然に入ると良い撮影ができない」と彼が語っていたのを知っていたので、すぐにその質問をぶつけてみました。


たくさんのアラスカの写真を背に、とても嬉しそうに質問に答えてくれたのですが、その時の星野さんの浮世離れした瞳に吸い込まれそうになった事は一生忘れないでしょう。到底この世のものとは思えないほどに、瞳が神々しく澄みきっていて「こんな人、見たことない。人間には見えない」そう言う感じなのです。あんな経験は、未だにあの時一度きり。星野さんの目が、映写機の様に光を放っていて、見た事のない世界を僕にジリジリと照射していたような感じさえありました。今でも、その時の「尊いもの」に触れた様な感触を思い出すだけで、なぜか感情が揺さぶられるのです。
「やはり銃を持つと、動物を見下した目線になってしまうからではないでしょうか?」と、自分なりの仮説を質問してみたのですが、「確かにそうかもしれませんね、自分を安全な場所に置くことで、生の自然を感じることが難しくなってしまう、そういうことはあるのかもしれません」といった感じの経験談をしてくださったと記憶しています。「北海道は良いですね、乾いているっていうのかな。やっぱり北なんですね、千歳空港に降り立った瞬間にすぐに感じるんですが、アラスカの空気に似ているんですよ」などと、他愛のない会話なども交わしたのですが、そんな会話の内容よりも、星野さんの存在感が、とにかく強烈で、心地の良い不思議な圧倒感がありました。


その4年後には熊に襲われて、星野さんは人間世界よりも先の世界に旅立たれたのですが、龍村仁監督のドキュメンタリー映画「地球交響曲(ガイア・シンフォニー)第3番」では、亡くなった星野さんはクマの魂を持つ男として描かれていました。自分の守護神がクマであることを知っていたと言う様な内容だったと記憶します。大自然の熊が、クマの魂をもつ星野さんを襲うという、壮大なテーマを真正面から描いていました。地球(ガイア)の息遣いを感じる、これまたオススメの映画です。

「星野さんの目は、クマの目だったのかもしれない」。その映画を見てから、そう思う様になりました。人間の目とは到底思えない感じでしたしね。もし、そうだとするならば、熊と言う動物は、実は底抜けに優しく純粋で素敵な動物であるに違いありません。「熊は危険で獰猛な動物」と言うイメージは、人間目線のエゴが作りあげたものなのかもしれないのです。とは言え一方では、テディーベアなどの熊のぬいぐるみ、クマのプーさん(Winnie-the-Pooh)のアニメ、北海道土産の木彫りの熊などは、愛嬌のあるキャラクターとして、ひたすら愛されているわけですから、よく考えると、僕らにも二重のイメージがあるんですね。

星野さんは、向こうの世界でも、人間と動物の境界線を越えて、旅していると想像します。その境界線を越えたいと旅を続け、もしくはすでに超えていたから超人だったでしょう。人間と動物の境界線上の異次元に、神みたいなものを垣間見ていたのだと思います。

このページ「イタリア日記」(*注)と関係ない事を書いているようですが、振り返ってみると、今自分が、イタリアに住んでいるのも、星野さんと出会った事と関係あるのかもと最近、思うのです。外国に住んでいる事に対し自問する時に、星野さんを意識しないわけにはいきません。


 友人に勧められて、彼のエッセー集「旅する木」を読んだのは、イタリアに住み始めてからでした。どうか、皆さんも、その冒頭を読んでみてください!アラスカに移り住んだ理由や過程が書いてあるのですが、これがひたむきで純粋で熱くて最高なんですよ!憧れの星野さんと自分を比べるのは、本来ならば遠慮するべきとは思いますが、照れずに思い切って言うと、僕もどこか似たような感じでイタリアに惹かれ、何かに押されるような、強迫観念とも言えるような説明不可能な強烈な思いを持って、ここに移り住んだんですよね。それぞれみんな、何らかの使命や役目を持って生きてんだろうなあ。ついつい、熱く語ってしまいます。



(*注)
Web LEON(主婦と生活社)
連載「仁木岳彦のイタリア日記」2016年10月掲載ページから、加筆転載させて頂きました。

Sunday, August 12, 2018

時間の決め方

20時頃、オシャレして食前酒(アペリティーボ)や夕食に向かうミラネーゼ達。
初夏の日の入りは21時過ぎで、22時近くまでうっすら明るい。


子供の頃、好きな季節と言えば冬だった。出身地の北海道十勝は冬晴れの日が多く、雪のおかげで遊びのバリエーションも増える。今、イタリアで好きな季節と言えば問答無用で夏。夜の陽が長く、夕食時でもまだ明るい。21時過ぎにやっと夕方が訪れる。夏の夜は特別なリラックスムードがあり、その開放感が最高なのだ。夏の夜はテレビを見ている暇などないと感じるくらいだ。

陽が長いのは、イタリアの緯度が北にあるからだろうと思っていた。地軸のズレのせいで、北欧は、夏冬の日照時間の差が激しく、夏には白夜が訪れる。しかし、調べてみると日本とイタリアの緯度はほぼ同じ。イタリアの陽の長さは緯度のせいではなくて、むしろ時間の決め方のおかげなのだ。

ところで、時計はなぜ右回りなのか?答えは簡単、地上に棒を立てて太陽の影で測る日時計から来ている。日本の標準時は、「国土の中心」あたりの兵庫県明石の日時計をもとに時間を決めている。一方で、イタリアは「国土の東端」の経度の日時計で時間を決めている。なるほど、それで夜が長い訳だ。ちなみに西隣のフランスやスペインは、イタリアと同じ時間帯なのだが、もはや彼らの国土の中に標準時経度がない。だから、フランスやスペインの夏の夜はもっと長い。そして、ヨーロッパ中で、夏は時計を1時間早めるサマータイムが採用される。結果的に夏の夜の陽を長くする仕組みが二段階でなされている訳だ。

十勝の6月末の日の出の時間をご存知だろうか?午前3時台で、もったいない事に夏の朝は遮光カーテンが欲しくなるほどに早い。東京でも日の出は4時半で、東日本では朝起きた頃には太陽がかなり高い位置にあり、太陽と人々の生活のリズムが完全にずれているとしか思えない。もっと自然の恵みを生活に取り入れたい。サマータイムを採用する方法もあるが、それよりもまずは標準時は最低でも国土の東端で決めるべきと僕は強く思っている。単純に、明るい時間のビアホールで仲間と乾杯するシーンを思い浮かべてもらいたい。その開放感は広く共有されるべきではないか。

日本の東端にある北海道東部は、太陽を取り入れる点で大きな損をしている。時間の決め方次第では、十勝のライフスタイルはもちろんの事、日本全体がもっと素敵な場所になる可能性を秘めていると思えて仕方ないのだ。

十勝毎日新聞 2018年7月4日掲載 コラム「仁木岳彦のミラノエッセー」より加筆転載

Wednesday, January 10, 2018

絵本の魔力





新米パパになって不安がる僕に、友人からメッセージが来た。「いいパパにならなくていいから、絵本を読んであげられるパパになってね」。ミラノ在住の僕たち夫婦の会話はイタリア語、たまに英語。 妻は母国語のロシア語で赤ちゃんに話しかけ、僕は日本語での一人芝居に限界を感じていた。国際性に憧れた僕だが、家庭内の多言語環境に困惑し、日本語を教えることにも自信をなくしていたのだ 。な るほど、日本語の絵本なら言葉も教えられるだろうし、最高のアド バイス。 

北イタリア日本人会では毎週、読み聞かせの会もしているそうだ。 そして、彼らの日本語絵本のコレクションの大半は 、児童書の世界では世界随一の規模を誇る「ボローニャ国際児童図書見本市」からの寄贈とのこと。この見本市のなかでも、とく に新人を発掘する原画展(注記参照)は3 0年以上にわたり日本の板橋区立美術館と深い関係があり、日本国内でも巡回展が行われるそう。と聞けば、新米パパはぜひ覗いてみたくなる。写真家というのをいいこと に、関係者限定と言われている見本市に入れてもらえることになり、4月、ボロー ニャに向かった。 

会場内は、まさに絵本の玉手箱。興味深く感じたのは、絵本の主役は無国籍な顔をした子どもが多いところだ。どこの出身かわからないボーダーレスな顔の絵に愛着を感じる。とはいえ、注意深く見ると違いもある。子どもを意識して明快で わかりやすい日本の絵本。素朴で生活感あふれるアフリカの絵本。 教え解くようなアラビアの絵本。電気仕掛けで声が出る中国の絵本。 色調が暗いのに温もりを感じる東欧の絵本。大人っぽくオシャレな西欧の絵本。国際的な比較にワクワクして、 それぞれに惹かれた。むしろ言語に関係なく、素敵な絵本は文句なしにいい! 

結局、その日は動物がテーマのイタリア語の絵本を購入して帰ってきた 。手はじめとして、即興で日本語に訳したり、話を勝手に アレンジしたりして読み聞かせてみた。息子の反応もまあまあで、 順調なすべり出しだ。「日本語も大切だけど、それより文化の多様 性を尊ぶ気持ちとか、心の余裕を育んでほしいなあ」。ボローニャ の絵本たちの魔力のおかげか、日本語教育のプレッシャーに負けそうだった新米パパは、一転して子育てに達観しつつある。 










ANAグループ機内誌「翼の王国」9月号より、加筆転載させていただきました。

  



注記:イタリア・ボローニャ国際絵本原画展は、板橋区立美術館の他、西宮市大谷記念美術館、石川県七尾美術館、高浜市やきものの里かわら美術館などを毎年巡回しています。元来、絵本の原稿でしかなかった原画に注目して、それを芸術の域に高めたのは、彼ら日本の美術館のキュレター達だそう。児童書の国際的な商談がメインであるボローニャの見本市ですが、原画展も重要な位置を占め、絵本作家の登竜門的なコンクールとなっています。審査員は毎年総入れ替え、受賞者は若い作家から、プロのデザイナー、美術学校の先生まで、世界中から絵本制作を目指してイラストレーションの腕をふるっていて、とても見ごたえがありました。

Saturday, May 13, 2017

写真集「天使の写真」撮影したキッカケ、月との関連性

多くのメッセージを頂いています。「魅入って、何度も見てしまいます」「癒されました」「何かと天使が語りかけてきますよ」「神々しくて、涙が、、、」「実は運気が上がりました!!!」などなど。ありがとうございます!読者さんからの反応を頂くと言うのは、こんな喜びなのですね!貴重な体験です。眠る前などに、パラパラっとめくる感じで、写真集を見てくれている方が多いみたいですね。観る瞑想。これからは、もっとシンクロニシティ(偶然の一致、必然の偶然)などが増えて、不思議な出会いが多発すると思いますよ!

「そもそも天使像をテーマにした、最初のキッカケってなんだったの?」と聞かれることも多いのです。そりゃ、動機を知りたいっすよね。写真集の後書きにシッカリ書いてあるのですが、僕が語るのと、さらりと読むのでは、熱気が違うでしょうから、喜び勇んで答えるのですが。。。まず、写真集「天使の写真」の終わりの方に一枚だけ、天使とは関係なさそうな写真があります。煙が充満する大聖堂祭壇の写真。


2011年3月11日の東日本大震災には、イタリア人達も大いに気持ちを寄せてくれました。震災の翌週、ミラノのドゥオモ大聖堂にて「大震災犠牲者の追悼、そして残された者への励ましと復興を祈るミサ」を立ててくださいました。ミサはミラネーゼで満員御礼。祭壇には「平安」と筆された書が置かれ、合唱団は「ふるさと」を日本語で歌ってくれました。そして、なんとミサのクライマックスでは、驚いたことに、日本人の参列者のために、仏教のお寺などで行うお焼香をさせてくださったのです。教会にも、乳香(フランキンセンス)などの樹脂ベースのお香があります。普段は、重要なミサなどの前のお清めとして神父さんが、金銀細工が施された小さな球形のメタル製香炉などに入れて、振り回す感じで炊かれます。しかし、イタリアで一般信徒がお香に触れる事は、ほとんどないらしいのです。日本に長く住んだ経験があるイタリア人神父さんが、日本人の祈りの習慣に関して口添えしてくださったそうで、その日に限って日本人が祈りを表現しやすいように、カトリック教会内で仏教式お焼香が実現したのだと聞きました。粋な心意気に感激ですね。イタリア人は、ある意味で良い加減な分、他の文化にも寛容な側面があるのかもしれませんね。日本人が列を作って、次々と慣れた仕草で、祈りを形にしていきました。樹脂ベースのお香は、もともと煙が多いのと、珍しいお焼香の儀式のせいで、普段の教会ではありえないほどに祭壇が煙に包まれ、みんな見とれていました。そんな西洋と東洋の祈りが交わっていた瞬間「煙の中に舞い上がっていく天使たちを見た」と言う人の不思議な話を、ミサの後聞きました。「そうかあのミサは、天使の出陣式だったのだ」と、僕は勝手に理解して、天使像撮影の巡礼を決めたのです。だから、五年かかりましたが、一応僕なりの祈りの気持ちを形にしたのが、この写真集。最近、パラダイムシフトの途中なのか、なにかと世の中が揺さぶられている感じがありますが、世界中で天使たちが働いている様に感じています。



しかし、撮影巡礼を決めたとはいえ、心が折れそうになる事もあるのです。「そもそも、元々ある芸術を写し撮ってるだけじゃん?」とか、「俺は楽しんでるけど、こんな写真見て喜ぶ人いるの?」とか「この出版業界、冬の時代、どこの誰がこんな企画に興味持ってくれるのかなあ」なんて、、、、弱気になると言うか、飽きそうになったりするわけです。しかし、そんな感情が襲っても、逆に動機を維持し続けるキッカケとなる出来事が起こったりもするもんなんですね。不思議なもんで、自分のお気に入りの写真が一枚撮れただけでも、相当な「押し出し」って効くんすよね。その一枚がこちら。


月と地球の距離が短くなり、満月が普段よりも大きく見えるスーパームーンだったある日の夕方、月と旧市街の街並みを絡めたオシャレな写真が撮れないかなあと、深く考える事なしにミラノの中心部に向かいました。市街地で最も空が広く開けている街の中心ドゥオモ広場に着いた時、なかなか良い感じの満月が低い位置に出ていました。同じ満月でもスーパームーンは、やはり特別に存在感があるものです。望遠レンズが装着されたカメラを三脚に載せて、ファインダーを覗いたところ、「まじか?」と目を疑いました。ちょうど王宮の教会の塔の辺りに、月が出ていたのですが、なんとその突端に天使がいたんです!!!すでに天使像をテーマに決めた後でしたので、歓喜しながらの撮影となりました。「じっくりと待機して、時間かけて待っていたんですよね?」などと質問されることも多いのですが、実際は完全に逆。カメラを向けたら、そこに天使がいただけなのです。で、月って望遠レンズで覗くと猛烈な速さで動いてるんすよ。だから、「逆光だし露出難しいなあ」って段階露光しながら、慌てふためいてバシャバシャ撮影した写真なのです。


こちらの写真が、だいたい同じ地点から撮った写真なのですが、大聖堂の尖塔の突端に黄金に輝く聖母マリア様がいるのは知っていても、大聖堂右手奥の王宮方面の尖塔に天使がいるとは、それまで全く知りませんでした。ミラネーゼの友人たちも、まず知らない人がほとんど。しかも、実はこの天使像は風見鶏で、見るたびに違う方向を向いている事も、後で気がつきました。撮影時は方角的にも上手い具合に月と重なっていたわけです。「と言うことは、あの時、良い風が吹いていたわけか!」そう思うと、「こういうのって、俺しか撮れない写真だよな」とか、「天使から撮影依頼が来ているみたいだよなあ!」などと、うぬぼれつつ自分を奮い立たせる動機の一枚になっていきました。「このスーパームーンの天使写真を表紙写真に!」と僕も著者として推薦させてもらい、出版直前の最後の最後に採用と相成りました。しかも、写真の縁を黄金色(ゴールド)で箔押し。妖しく艶かしい光を放っていて、最高の演出っすよね。


11月初旬に、写真展と先行販売をさせて頂いていた阪急うめだのイタリアフェアーにて、そんな表紙写真のストーリーなどを話していた所、、、お客様のある方がある事に気がつき教えてくれました。「(奥付に書いてある第1刷発行日の)2016年11月14日も、満月でスーパームーンなはずですよ」と言うではありませんか。調べてみると、68年ぶりに最大に接近するスーパームーンだったそうです。編集部も販売部も知らなかったそうで、これも必然の偶然だったのかもしれませんね。


 表紙デザインも発行日もスーパームーン絡み。「月と天使」は、どう言う関係性があるのでしょうか?出版の締めの段階で浮上して来た「月のエネルギー」。月は女性性のシンボルなどと、よく言われている様ですが、気になります!頂いた感想やメッセージなどを読むに、読者さんの方が僕よりも天使などに詳しい場合も多いので、何か感じたら分かったら、是非とも教えてください!FBのファンページもやっています。書籍には書かれてないエピソードや載ってない写真も、のんびりとアップしています。
https://www.facebook.com/angelsbyniki/

これからは、「月のエネルギー」、もしくは「女性性って一体なんだろう、男性性との違いは?」などと言う自問自答が、僕の道しるべになりそうです。ところで、ファッションって言うのも文化的な文脈で眺めると、究極のところ、女性性と男性性の定義のせめぎ合いをやってるんすよね。なんたって、肉体に羽織るモノっすからね。

ところで、ちょい不良(ワル)ながらも、照れずにさらっと女性性を理解し女性を大切にできる側面もあるイタオヤ風男性って、相当モテるんじゃないっすか?って言うか、Leon誌面も、既にそう言う方向性に行ってる感じするんすけど。。。男性誌でありながら、必ず女性モデルが写真に登場しますしね。モノ(商品)だけではなくて、コト(ストーリー)にフォーカスしている雑誌だからこそですね。せっかくなんでこじつけますが、Leon編集部が、写真集「天使の写真」を手がけた理由も、その辺にあるんでしょうね!




写真集「天使の写真」は、全国の書店、アマゾンにて発売中です。
https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E4%BD%BF%E3%81%AE%E5%86%99%E7%9C%9F-%E4%BB%81%E6%9C%A8-%E5%B2%B3%E5%BD%A6/dp/4391149818?language=en_US


Web Leon 連載「仁木岳彦のイタリア日記」から転載加筆させて頂きました。

Friday, December 30, 2016

写真集「天使の写真」を出版しました。

モデナの怪人、ガブリエレ・パシーニ紹介の撮影から始まったレオン編集部とのコラボ。 ひたすら昇り竜なガブや、他のイタオヤ達とひとつの時代を並走してきた事を思い返すだけでも、なんとも感慨深いものがあります。そして今回、僕の個人的なテーマだった天使像の写真シリーズを、「天使の写真 Portraits of Angels」なる写真集としてまとめるに至 りました。カバータイトルには金箔を施し、印刷も写真集専門チームが関わったと言う、こだわりのパワー本。このデジタル時代においても、写真を紙に印刷して「本」として残す事の意義を、最大限に活かした形と言って良いのだと思います。
 

しかし、「ちょい不良なイタオヤ」を専門とするレオン編集部と、「天使」の関連性とは、何なんすかね? 最も遠そうなふたつの要素が混じり合って、ひとつの書籍になったわけですが、、、お互い関係なさそうで、実は関連性があるんでしょうね。イタオヤを至近距離で観察するに、逆説的ですが、自意識過剰で人の目を気にしすぎていたら、スタイルに行き着くことさえできないのでは?と思うのです。時に迷惑でもあり時にチャーミングでもある無根拠な自信が内面から溢れ出ている彼らの秘密は、イタリアがカトリック大国であることと関連性があるように思うわけです。すなわち、遠慮なく「これが俺だ!」と自分の魂 を押し出してくることができるのは、、、最終的に自分の評価の一部を、人目ではない「何か」に委ねているからではないか?と言うこと。深い話でしょ? 要するに、天使などの見えない「何か」に、ジャッジを仰いでいる部分があるからこその、自信のある自己主張。そのベースの次に、流行(モーダ)やTPO(場所やイベント別のドレスコード)がノッテ くるのです。彼らも人を見ますが、他人への興味よりも自分への興味が強く、人を値踏みしてジャッジする感じが圧倒的に少ないんすよね。彼らのライフスタイル全てに通じる地中海の哲学と感じます。あくまで、僕の説にすぎないのですが、この自問自答は、まだまだ続けるつもりです。。。

で、11月には、ちらりと一時帰国して、いくつかイベントしてきました。

まずは、大阪の「阪急うめだ本店」のイタリアフェア。ここで仰天したのは、扇型の大階段がそのまま劇場にもなる古代ローマの都市遺跡の様なゴージャスな祝祭広場。なんとも哲学的な建築デザインですよね。イタリア発祥の楽器オカリナの演奏家やオペラ歌手の演奏会、ワイン講座、講演会など多目的に使われていました。ベネツィアガラスのアクセサリーや食後酒リモンチェッロなどの、アーティストや作り手50人近くのイタリア人が、 このイベントのためにわざわざイタリアから来日。会場を行き来してモノの背景や作り方を見せつつ、文化の交流を果たしていました。「物産展はよくあるけど、村祭りみたいなイタリアフェアーはここだけだぞ」と、参加していたイタリア人が申しておりました。なるほどね、単なる物産展なら、僕の写真集の居場所もないでしょうからね。とにかく、その広場の一角での写真集先行販売、写真展、サイン会、講演会をさせて頂きました。。。。イタリアから行くと違和感のない近めな人の距離感。関西人のコミュニケーションって、柔らかくこなれていて、良い感じの都会ですね。お客さまとの直接的な関わりを存分に楽しみました。



そして、「伊勢丹新宿本店メンズ館」チャーリー・バイスの部屋での、天使ミニ写真展とポートレート撮影会。普段は閉じられている特別な部屋を使わせて頂いたのですが、なんとも濃密な時間が流れていました。ミラノのファッションデパートのアドバイザーをインタビュー取材していた時に、脱線会話で「ISETAN」について随分と逆インタビューされた経験があったのですが、今回納得。あんだけトンがったセレクションで、あんだけの集客力、、、さすが「世界のISETAN」、突っ走っていますね。メンズファッションでは世界最先端を行っちゃってると思います。東京にしかない空間でしょう。最上階8階は、通好みの小物のフロアーで「イセタンメンズ レジデンズ」と名付けられ、世界からの選りすぐりの趣味性の高いアイテムが選びきられていて、一見の価値あり。写真集「天使の写真」は、そこで引き続き取り扱って頂いています! とにもかくにも、チャーリー・バイスの友人として、顔を並べられて光栄です。知的でロマンあふれるアプローチで、素敵なインタビューをしてくれました。
前編
http://chalievice.com/letter/1086
後編
http://chalievice.com/letter/1087




http://kaeruleon.jp/store/CategoryList.aspx?ccd=F1000195&wkcd=F1000011

ジローさんも、良い事言ってくれてますね。『これおかしいよ!だって、一番の天使、アナタが載ってないよ!』 ・・・流石ですね。。。そういえば、イタリア語で「愛しいもの」は、全て「天使」と呼ぶんですよね。例えワガママな女性や子供も「天使」と呼ぶのです!っていうか、天使って、そういうものでもあるのかも???
 

すべてを紹介できないのが残念なのですが、友人知人、または書籍を通じた新しい友人のSNSシェアなどにも感動。代表して、タニさんの投稿『エンジェルの美しさと神秘にこだわった、とても素敵な写真集です』ありがとうございます。「美しさと神秘」改めて言葉を与えて頂くと、写真集に命を吹き込んでくれた様に感じます。


 「Nスタ」などで活躍のTBS古谷有美アナも、エネルギッシュなエンジェル・スマイルで激励してくれました!!!ところで、「#みんみん画伯」で検索してみてください。インスタグラム経由のポートレートや花、カリグラフィー(西洋習字)を多用したプロ並みに 素敵なイラストが出てきますが、全て彼女の作。キラキラが溢れ出ていますね。そういえば、天使って、本当は天使像とか形のあるものではむしろなくて、ふわふわキラキラっとした「魂」みたいなものでもあると思うんです。花でもデザインでも絵画でも写真でも言葉でも踊りでも歌でも詩でもなんでも良いから、方法にこだわらずにキラキラを表現し ていきたいですね!Let’s express yourself!!! エンジェル・スマイルで、世界が満たされます様に!!!



そして、12月のクリスマス時期には、銀座5丁目の東急プラザ銀座のストラスブルゴにて、出版記念の展覧会をさせて頂きました。自分はミラノにいて、準備も任せきりでしたが、書斎に天使の写真を配置したような素敵な展示になっていたようです。人通りも多い外堀通りというところに面している路面店だそうです。足を止めて、店内で見てくださった方はもちろんのこと、通りすがりに「天使の写真」のウインドウディスプレイを撮影していた方々もいたそうです。 そんな報告を聞くと、多少なりとも天使を日本に届けられたという感触が得られたように思えます。
http://strasburgo.co.jp/floor/mens/news/2016/12/-portraits-of-angels.php


 写真書籍はアマゾンなどのネット書店のほか、全国の書店にて取り扱いになっています。
 https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E4%BD%BF%E3%81%AE%E5%86%99%E7%9C%9F-%E4%BB%81%E6%9C%A8-%E5%B2%B3%E5%BD%A6/dp/4391149818

 次回は、「なぜ天使をテーマに写真を撮ってきたのか」と「月と天使の不思議な関係」に 関してアップしたいと思います!!!




Web Leon 連載「仁木岳彦のイタリア日記」から転載加筆させて頂きました。


Monday, August 15, 2016

サンティアゴ巡礼路 「歩くだけという、 究極にシンプルな旅」  


聖地サンティアゴへの巡礼。最古の記録は951年にも遡り、世界で初めて出版された旅行ガイドブックは「サンティアゴ巡礼案内」だったとされる。大ブームが起こった最盛期の12世紀には年間50万人が巡礼に挑戦したという記録があるそうだ。

1993年には、この巡礼路がユネスコ世界遺産に登録され、一度は廃れた巡礼路を再整備するキッカケとなった。東洋にはヨガなど体を使った教えがある。それと似た様なモノは西洋にはないかと探していた時に、 女優シャーリー・マクレーンの著書「カミーノ」を読み、その存在を知った。その後すぐにパウロ・コエーリョの「星の巡礼」を読破。周りに経験者がいなく、巡礼の話を誰かに聞くこともできず、情報といえば、たった二冊の本しかなかったものの、旅情をかきたてられるには十分すぎる理由が揃った。


そして2004年の夏、意を決し、すべての他の予定をキャンセルして断行。7月末の満月の日の早朝、スペインとの国境に近い、フランスのバスク地方の街サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポーを出発した。バックパックを背負い、カメラを携え、巡礼の証であるホタテ貝を身に着け聖地を目指し歩いた。


ピレネー山脈を越え、約1カ月掛け北スペイン約800kmを徒歩で横断。巡礼中は高揚して、急に至福感に襲われたり、泣きたくなる衝動を感じたりした。山では夏だというのに息が白くなるほど寒く、平野ではスペインの太陽に焼かれ脱水症状で倒れそうにもなった。この旅で初めて、カメラがこんなに重いものだという事を思い知った。道中には巡礼で命を落とした人々の墓碑が数多くあり、そのひとつに日本人のものがあったのが忘れられない。私は旅の最中、日本仏教の聖地である高野山の寺院で頂いた線香を毎日焚き、自分なりの祈りを表現し続けた。


大聖堂に到着できれば、さして難しいルールもなく、「歩くだけという、究極にシンプルな旅」。宇宙や地球に比べればあまりにも小さい自分が、万物とつながっている一体感。街で暮らす日常からは想像しえない感触を得ることができた。


スペイン北西にある聖地サンティアゴ・コンポステーラに到着した時は、その到達感の喜びもひとしおだったものの、巡礼の答えは、その道中ですでに見つけていた。巡礼を通し、聖なる存在は教会だけではなく、自然の中や、そこら中の身近にいることを実感し、到着前にすでに満たされた気分になっていたのだ。


巡礼中、ずっと自分につきっきりでいてくれる見えない存在を感じた。私はその存在を守護天使と呼び、ぶっ飛んだ対話を楽しんだ。もちろん、歩き疲れのせいで、気が触れていただけなのかもしれない。ただ、その充実感はひれ伏したいほどに確かなものだったのだ。




Day 1 最初の難関ピレネー山脈。フランスとスペインの国境に十字架が。


Day 2 教会内に設けられた巡礼者専用のベットルーム。満員の日は寝袋で床に寝る。


Day 9 様々なマリア像に出会う。信仰深い巡礼者は静かに祈りを捧げていた。


Day 14 巡礼の中盤は、緩い高低差がある平野。黄金色の麦畑が続く。


Day 15 同じようなリズムで歩く巡礼者とは仲間になる。
彼らの笑顔は旅の励ましとなった。
宗教的な理由での巡礼者はむしろ少数で、多くは夏のアドベンチャーとして楽しむ。


Day 16 巡礼中は黄色い矢印に沿って歩く。この先には目的地の大聖堂がある。

Day 21 友人たちと語らいながらの巡礼も楽しいだろう。
ただ、不思議と一人で歩く静けさで、孤独を感じる事はない。


Day 28 聖地近くの森の中で、神々しい光彩の巡礼者に注いでいた。


Day 30 旅の終着点、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂。
カトリック三大巡礼地の一つとされる。

The Last Day 大聖堂内の巡礼達。それぞれの思いが交差している。
むせび泣く人の姿も見かけた。


雑誌「ローリングストーン日本版」2009年3月号に掲載したフォトエッセーを、加筆転載させて頂きました。








Friday, May 27, 2016

エルサレムで出会った白い光と、聖母マリア。


僕のスピリチュアルな旅は、20代の半ばで訪れたイスラエルから始まったのだと思います。「西洋美術や世界の政治を理解するには、まずは、歴史の交差点イスラエルへ行ってみるしかない!」実は、そんな好奇心だけが旅の動機だったのです。

古都エルサレムでは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地の距離感が想像以上に近く、ほとんど重なるように存在している事に驚きました。土地のエネルギーがよっぽど強いのでしょうね。例え宗教と言うモノが世界からなくなったとしても、根っからの永遠の聖地なのだと思います。物見遊山でそれぞれの祈りの場を訪ねて体感してみました。
 
宗教心もなく興味本位だったにも関わらず、どういうわけかキリスト教の古い教会で不思議な事が起こりました。聖母マリア像の近くにいたのですが、全く突然に、むせび泣く様に泣き崩れてしまったのです。柔らかで暖かな光に四方八方から包まれた様に感じました。
雲のようにフワフワで白く大きな存在と表現しても良いかもしれません。果てしない無限の愛との一体感が嬉しくて、すべての感情が吹き出していた感じでした。5分泣いていたのか1時間泣いていたのか時間の感覚もなく、後にも先にも、あのような100%の幸福感は味わったことがありません。そして、今までの人生のどんな旅も、その白い存在が一緒で、決して孤独ではなかった事も知りました。

巡礼地の教会というのは、たくさんの旅人が行き交うために騒々しく、清々しい雰囲気などありません。そんなザワザワした人々の動きを涙ごしに眺めながら、異次元の白い光の世界を同時に見ていました。矛盾なく二つの平行世界が同居していたのです。探し求めていたわけでもないのに、多分、僕はある種の神秘体験をしたのでしょう。

そして、当時住んでいたニューヨークのアパートに戻り、旅の白黒フィルムを現像してみて、また驚きました。聖母マリア像の額の第三の目が光り、目も涙で濡れている様にも見える、不思議で生々しい表情の写真が浮かびあがってきたのです。

聖堂内のろうそくの光などが、偶然に反射しただけなのだと想像します。撮影時は泣きじゃくっていたせいか、その反射に気がつかなかったのです。とはいえ、聖母マリア像の両目への光の反射が涙をためているような表情を演出し、別の光が額の第三の目のところでバッチリと反射していたことになります。そんな完璧な偶然は、そう簡単には起こらないはずなのです。その後、好奇心で似たような写真を意図的に撮ろうと何度も試みましたが、全く似ても似つかない写真しか撮れませんでした。

この白い光との出会いの体験をしてから一年以上、この出来事を誰にも話すことができませんでした。何をどう話していいのかわからなかったのです。そして、何年も後になって、その教会がエルサレム聖墳墓教会と呼ばれ、僕が号泣した辺りが、イエス・キリストが十字架で磔刑にされて亡くなったゴルゴダの丘とされている事を知りました。

聖母マリア像の写真ですが、額の第三の目のチャクラ周辺が光っているために、東洋の仏像のように見える事が長年気になっていました。西洋の聖母マリアでありながら、東洋の観音菩薩にも見える不思議な写真。実際は聖母も観音も、宗教を超えた世界では同じ存在なのかもしれません。ただ単に、西洋と東洋の女神の解釈の違いなのではないでしょうか。いずれにせよ、この写真の偶然を必然と捉え、いつかスピリチュアルな視点で、西洋と東洋の「橋渡し」や、様々な「際」を外していくような仕事がしてみたいと願うようになりました。

エルサレムへの旅行を境に、少しづつ異次元世界の存在を信じるようになり、人生の目的自体、ひっくり返ってしまいました。号泣した時に目の前にいた聖母マリアを、自分の人生のボスと思うようになりました。地球上のすべてに反抗したとしても、聖母マリアには従順でありたいと思ってしまうのです。
 
しかし、あの白い光は、何だったのでしょうか?聖母マリア自身?もしくは彼女から送られてきたメッセンジャーの天使だったのかもしれません。

この写真を見るたびに思います。一体、聖母マリアは僕に何を伝えたかったのでしょうか?