Tuesday, November 8, 2011

マヤ暦の滅亡論とは程遠い、水瓶座(アクエリアス)の革命について

 
このブログを始めたキッカケ
 
2009年に約1年程、集英社のWEBUOMOと言うネットマガジンの片隅にブログの連載をさせてもらっていた。「お前の文章は、なんだか難しいから、あんま読んでねえよ」と悪友から罵(ののし)られながらも、月に数回、自分が選んだテーマで書いていた。その連載が終わり、実はそれをキッカケに、私はこの個人ブログ「ミラノ徒然フォトエッセー」を始めたのだった。ブログ内のいくつかの文章は、ネットマガジンに書いたものを、そっくりそのまま転載したものである。
2009年の11月の「水瓶座の時代、Global Brain, 2012」の回も、そのまま転載したものだ。2年前の文章なのだが、今、読み返してみて改めて、その新鮮な内容に驚いている。ただ、悪友の罵り(ののしり)は謙虚に受け止めたい。文章の一部は太字で引用しつつ、もう一度、分かりやすく噛み砕いて考えてみようと思う。

滅亡はない。マヤ暦の終わりは、人類の次元上昇のサイン

まずは、1996年頃にニューヨークで瞑想の師から聞いた話。
「2000年辺りから、たくさんのショックな事が起きるから心配しないように。戦争、自然災害、疫病などで地球が揺さぶられるはず。それで、嘘とか闇があぶり出され るの。2012年前後に、地球がアセンション(次元上昇)して、人類の内面レベルが一つあがる。その移行期は、大変かもしれないけれど、あなた達は、 その変化を準備する要員になっていくのよ。水瓶座の時代がはじまっていくのを見届けたいわ。。。。。。」ー
マヤ暦が2012年12月22日で終わるために、 人類の滅亡や世の終わりを意味する終末論を聞くことがある。しかし、その区切りは、実際には新しい時代の幕開けのサインとなるらしいのだ。地球と人類が成長して、もう一つレベルの高い未知の世界に入って行くと言う。終末論どころか、むしろ、歓迎すべき出来事なのだ。西洋占星術の区切りで言うと現在の地球は、紀元0年あたりから2000年間続いた魚座の時代が終わって、次の2000年間続く水瓶座の時代に入る移行期間となる。

私たち無名市民の一人一人が目覚める事がキーとなるらしい。

2011年、確かに日本でも大きな地震と津波がおきて、おおいに揺さぶられた。3月11日以前と以後では、人生の価値観が変わってしまった人も多いだろう。そして、原発事故とインターネットを行き交う情報のおかげで、良くも悪くも、政界や財界などの嘘が、あぶり出されている。それも、私たち人類のレベルが一つあがるための準備と言えるのかもしれない。今は亡き瞑想の師が、生前に真剣に語っていた事が、今更ながら心に迫って来る。

魚座の時代から、水瓶座(アクエリアス)の時代へのシフト。

友人の話によると、、、
地球と人類の次元上昇によって、人類の意識の革命が起こると言うのだ。例えば、点で1次 元を、平面で2次元を、立体で3次元を表す。3次元とはすなわち、私たちが住んでいる世界である。加えて、私たちが自由にコントロールできるのは、この次 元まで。それに時間軸を加えて4次元となる。ここまでは簡単に意識できる。さて5次元、6次元とは、どんな世界なのだろうか???アセンションによって、 そんな未知の次元が、これからはもっと身近になって行くだろうと言うのが、友人の説だった。「最近、シンクロニシティー(共時性、偶然の一致)や、テレパ シー、直感などが、冴えてきてない?」と私に聞くのだった。実は、年々、自分の直感は研ぎすまされてきている様な感覚があった。いわゆる見えない世界の事が「分かる人」と「分からない人」の差も、これから激しく「2極化」して行くらしい。ー

この「愛」と「怖れ」の二極化は地球上に二つのパラレルワールドをつくる程になると言う。

個人的体験では、1990年代の後半ぐらいから、偶然が不思議に重なるようなシンクロニシティーが頻発するようになった。2000年代に入ってからは、直観がさえるようになり、時にはテレパシーのようなものを感じたり、別次元からのメッセージの様なものを受け取る事も出て来た。あと最近、ごく稀にではあるが、嘘をつく人と言うのが、その人の発するムードで分かるような感覚を感じる事がある。これらの体験が、私の単なる個人的体験ではなくて、人類の次元上昇と関係があるのだとしたら、世の中の仕組みそのものが変わってもおかしくない。例えば、政治家などの欺瞞も、市民がみんなムードで分かってしまうのだから、自然と放っておけなくなってくるだろう。極論だが、世の中を変えたかったら、政治などに直接働きかけるよりも、市民一人一人が心を開いて愛情の直観能力を磨くのが最短なのかもしれない。

ミラノのある教会で見つけた魚の図柄。
十字架がキリスト教のシンボルになったのは4世紀頃で、
その前までは魚の絵(イクトゥスフィッシュ)がシンボルだった事も。


そして、魚座の時代と水瓶座の時代の違いはと言うと。。。
魚座の時代(西暦0ー西暦2012)は物質文明に加えて、精神文明が深まって行った時代であった。「愛、許し、献身」に人類が気がついた時代とも言える。 「愛、許し、献身」で、私はキリストを思い出した。彼の出現が魚座の時代と関係あるのかもしれない。しかし、自分の属するグループへの「献身」が行き過ぎ て、排他的に他のグループと反目しあう面も強調された。それぞれのグループが、男性的なピラミッド型の縦社会を形作り、他のグループを自分のグループの傘 下に納める競争さえも、献身の目的になってしまったのだと言う。情報も上から下へ縦の一方向に流れる社会を形作った。
それに対し、水瓶座の時代(西暦2013ー西暦4000年???)は、魚座の男性的な縦社会から女性的な横社会にシフトして行く。競争から協調のネット ワーク社会に変わって行くとも言える。情報も魚座時代のように上から下へと言う縦の一方向ではなくなり、もっと自由に横からも下からも流れるようになる。 「博愛、平等、自由」がキーワードである。水瓶座の時代の革命は、カリスマなリーダーを必要としない。目覚めた一般市民達が横のネットワークのつながり で、物事を決めて行く。そして、5次元、6次元を意識した直感的な市民が一般化していくと言うのだ。そして、女性的な横社会の中で、女性性が重要な役割を 担って行く様になって行く。ー


女性性という意味では、「アラブの春」革命のネットワークでは、意外にも若いアラブの知的女性がアクティブに活動しているとも聞いた。彼女らは、ネット上で、新聞などで使われる正式なアラブ語の文語体ではなく、平易な口語体で議論するのだそうだ。もう一つの例としては、日本の脱原発運動では、ママさん層が何と言っても原動力だと言う。東日本に住む子を持つママさん達の母性の苛立ちこそ、現在の日本の精神的マグマとも言えるかもしれない。
今、魚座の時代から水瓶座の時代へ移行していると考えると、2年前に書いた文章の説明が、現状に見事に符合していく。
 
プラカードには、スペイン語で「資本主義 =(イコール)人災 」。
 何万人もの人が集まったマドリッドのソル広場のデモ。
デモは反社会的で暴力的な人達がするものと
思っていた私には拍子抜けするぐらいに穏健なものだった。

今、世界中で起こっている事を一つ文脈として考えてみる。

ここの所、追いきれない程に次々に大きな出来事がニュースを賑わしている。中東各国の情勢。アメリカの金融政策や、連鎖的な崩壊を怖れている危うい通貨ユーロと経済格差デモ。日本の地震と津波、原発事故。そして、日本以外でも頻繁に起こる地震に、火山、洪水も含めて、休みなしに起こる世界中の自然災害。どれもこれも、一見、とてもネガティブな事象である。そして、当事者にとっては、想像も絶する大きな傷となっている事だろう。そんな痛みを噛み締めつつも、しかし、冷静な大きな視点でみると、これらは我々が次の時代に移行するために必要な事なのかもしれないのだ。
今、世界中で起こっている様々な事を、この一つ大きな文脈で考えても良いのではないか?と言うのが私の提案なのだが、どうだろう。

例えば、もし、日本で原発事故が起こらなかったとしたら、今程に日本の市民の意識が目覚める事もなかったはずだ。
生物の遺伝子に異変を起こす可能性のある事故がおきているのにも関わらず、事故の詳細さえ発表されない。縦社会のピラミッド上部では、情報のトップダウンで、すべてを今まで通りに進めたいのだろう。なんといっても、この旧体制的な縦社会のシステムの限界について、我々が議論を始めた事が、ある意味では、なんともポジティブな事なのではないかと私は思うのだ。

志のある者は、ピラミッドの頂点ではなくて、ネットワークの強い結び目に

世界中でも、同じ様に市民が結束し始めている動きがある。キッカケは、自然災害だったり、経済の行き詰まりだったり、独裁制だったりと、様々とはいえ。。。「インターネットを道具」にし、「カリスマのあるリーダー無し」で、「市民同士のつながりを強さ」にしていている点で一致している。
これからは志のある者は、人に影響を与えるピラミッドの頂点を目指すのではなく、人に共感を与える、縦横無尽の編み目状ネットワークの、強い結び目になっていく事を望むべき時代なのかもしれない。

チェゲバラの様なカリスマが
懐かしいと思える時代が来るかもしれないと2年前に書いた。

「懐かしい彼方のカリスマ」と、「ネットワークの強い結び目」のイメージ
私の頭に浮かんだのは、双方とも2009年の
ヴェネツィア美術ビエンナーレでの写真だった。
新しい時代の感覚は、まず芸術家によって表現される。
彼らの超高感度なアンテナを侮ってはならない。

Global Brain(地球の脳内)を駆け抜ける

ところで、インターネットのネットワークは、我々の脳のネットワークを模していると言われている。脳は体の司令塔と信じられいる。しかし、注目すべき事に脳内のネットワークには司令者はいない。複雑な脳内ネットワークが共同で答えを導きだす。今の現象は、地球そのものが脳になってきているとも言える。生まれて間もない、まだ歴史の浅いインターネットだが、最近、Twitterや、Facebookなどのソーシャルネットワークを使っていると、時にそんなGlobal Brain(地球脳)を体験しているような錯覚を覚える。他の人が発信した情報に喚起されて自分もアイディアを発信し、自分自身が脳の神経シナプスの一つとして、地球の脳内を駆け抜けているような感覚だ。
もしかすると錯覚ではないのかもしれない。実際にソーシャルネットワークは、チュニジアやエジプトなどの旧体制を倒すこととなった革命において情報伝達の武器となった。この情報の横方向の流れは、Global Brain(地球脳)そのものと言えるだろう。

このインターネットの情報の流れと同じイメージで、電力などのエネルギーなども、現在の大会社から市民への一方的なトップダウン方式ではない新しい方式のものが、一刻も早く発明される事を期待している。なんらかの形で、みんなが自家発電して共有できるような方式が世に出て来た時には、ピラミッド型の縦社会に依存しなければならない理由がなくなってくるだろう。

歴史は繰り返す。しかし、もっと長いスパンで見てみると、ターニングポイントがあり、歴史は繰り返さない。そして、2000年以上前の事になると、歴史学ではなく、考古学の世界になってしまう。そこまでさかのぼると、推測するしかない位に謎だからだ。魚座の時代の前にあたる、紀元前の牡羊座の時代は、我々は考古学の知識しかない。要するに、我々が歴史と呼んで大切に語っているのは、高々2000年間の話で、それはそのまま魚座の時代の歴史に過ぎない事を忘れてはならない。議論中などに「歴史をみてみろ」と、この2000年間の例を持ち出したり、ちっぽけな自分の体験の過去を振り返ったりする愚者にはなりたくないものだ。未来は過去の続きとは限らないからだ。

究極的にはとてもポジィティブな事なのだから、、、

この魚座の時代から水瓶座の時代への移行も、すべてがスムーズには行かないだろう。変化の過程では揺り戻しもあるに違いない。移行した所で、別の問題も出て来るはずだ。しかし、変化の方向性は明確なのではないか。
水瓶座の時代は、これから永き2000年間続くと言う。私たちは今、シフトのさなかにいる。完全にシフトが終わるには、何十年もかかると言う説もあり、まだまだ先かもしれない。2012年12月のマヤ暦の終わりで、世の中が大転換するわけではなく、一つの緩やかなターニングポイントになって行くと信じている。だいたい、マヤ暦は終わる訳ではなくて、一回りして、単に次のクルーがはじまるのだけなのだ。次の次元に移り行く世界を、この目で見て行きたい。その過程では、暗黒やカオスが表出する事もあるだろう。しかし、怖がる必要もない。この変化を、出来る限りみんなで楽しんでいこうではないか。。。今、起こっている事はすべて、究極的にはポジティブな事なのだから。世界の被災、戦災犠牲者の死を無駄にしないためにも、そんな心意気を大切にしたい。彼らも、別次元から私たちが歩を進めるのを見守ってくれているに違いないのだ。

地球や宇宙にも、
私たち生物と同じ様に、気分やバイオリズムがある。

宇宙のバイオリズムに身を任せようではないか。

私たち市民の意識が、愛情を持って新次元の直観の世界に素直に心を開けば、シフトは穏健に進み、市民の多くが怖れで心を閉ざせば、シフトをこじ開けるために劇的な要素が加わるのではないかと言うのが、稚拙ながらも私の仮説だ。ちっぽけな既得権益を守る事など、所詮、無駄な抵抗なのだ。星の配置と、宇宙のバイオリズムに、ゆったりと身を任せてみようではないか。
「愛情」と「怖れ」の二極化のパラレルーワールドができるとするならば、出来るだけ多くの人が、新次元やすべてを受け入れて「愛情や直観」の世界を感じられますように。そして、そんな仲間ができるだけ増えますように。そして、自分もそこに参加できますように。

Saturday, November 5, 2011

復興の祈り




「復興の祈り」(国民みらい出版)が発売。石原慎太郎知事、千葉麗子さん、乙武洋匡さん、片岡鶴太郎さん、西田敏行さん、吉永小百合さん、渡辺謙さん、いしだ壱成さんはじめ、300人のメッセージを掲載。機会を頂き、26番目のメッセージ(59ページ)は、私からの祈りです。
推進派や反対派、ナショナリストやアナーキスト、たとえ思想や主義主張が対立していても、復興を祈っていると言う想いは一緒なのかもしれません。本がミラノに送られて来て、何気にページをめくっている時にそんな事を思いました。 
もし、書店などで見かけるような事があったら、ひと時でも手にとって頂けると幸いに思います。 

Wednesday, October 19, 2011

パリのカフェからの手紙ー天使探しの旅

最近の私の撮影のテーマは「天使」。天使像を撮るためにミラノの自宅を離れ、パリへと旅してきました。キリスト教美術に溢れるヨーロッパに居を移して10年以上の時が経ちました。そんな美術を丹念に見て行くと、多種多様な天使達が至る所で登場するのを見るたびに、いつかテーマにしたいと思っていたのです。

 パリ最大の墓地、ペレラシャースの天使像。
小さいけど有名な天使。

 作家のオスカーワイルドのお墓にはファンのキスマークが。
死んでも、これだけ愛されれば、作家冥利につきるのでは?

 作曲家ショパンのお墓は花で溢れ、記念撮影するグループも。
優れた芸術は何世紀も生き延びる事を再確認してしまった。
芸術家のお墓の愛され方は特別だった。

調べてみると、教会や美術館だけでなく、パリの墓地には立派な天使像が多いと分かりました。墓地とは最初は意外でしたが、地図を片手にした観光客もかなりいました。作家のオスカーワイルドの墓にはたくさんのキスマーク。作曲家ショパンの墓では花が飾られ、記念撮影に興じるグループ。湿った感じはあまりなく、静かな彫刻公園という印象。趣向を凝らしたお墓を脇目に「天使を探す旅」もなかなか楽しいものです。

ちなみに今日はお墓ではなく、セーヌ川左岸のある教会に映画スターの様な大天使がいると聞き、かなり探し歩きました。やっと見つけたものの、光の状態は刻一刻と変化するし、彫像だけにポーズの指示はできないし、なかなか根気のいる撮影でした。ただ、動かないのに、撮る角度でまったく違う表情をみせるので、人物撮影とは違う面白さもありました。

噂の映画スターの様な天使は圧倒的な存在感だった。

  かつてはヘミングウェイが原稿を書いていたかもしれないテーブルで、
現代のパリジェンヌは携帯電話を使って情報交換したり、
おしゃべりに興じたりしていた。

 コーヒーとミルクが惜しげもなくたっぷりと別々の瓶に。

ようやく、今ひと仕事終えて、カフェで一服しています。サンジェルマンデプレ地区の「レドゥマゴ」。サルトルやボヴォワールが根城にし、ピカソやヘミングウェイも足繁く通った名店です。彼らの議論を想うだけでも刺激的。何しろ世界的な文学や哲学が、ここで生まれたのですから。

カフェオレはここでは、Cafe’ Cremeと呼ぶそうです。コーヒーとミルクが別々の瓶にたっぷりでてきて、これまたオシャレ。と言うか、その佇まいが長居しても良いというサインにすら思えます。要するに、議論したり、原稿を書いたりするには、まさに最高の場所なのです。

屋外席の椅子がみな通りの方を向いていて、それも気に入りました。道ゆく人や隣の客を眺めているだけでも、彼らそれぞれの物語を感じ、全然飽きません。パリのカフェ文化が生まれた地とあって、興奮気味です。

値段もさほど高くなく、観光客だけでなく、パリッ子たちも使っています。文学や哲学の妖気が今も漂っているのは、そのあたりの絶妙なさじ加減かもしれません。さずがはパリ。Cafe’ Cremeは成熟した大人の薫りがしました。

この一杯が効いたのか、天使の写真に添える文章などが浮かんできそうです。では、また。
 
 現在でもカフェが主催する文学賞があるそうだ。



Thursday, July 28, 2011

ミラノで垣間みたチャリティー精神、日本人としての自分

震災の数日後、その訪問者は昔ながらの方法で、私の家にやって来た。互いの携帯番号やメールアドレスを知らないのだから、仕方がない。アパートのドアベルを、いきなり鳴らして来たのだった。近所の教会の日曜ミサで会う人だった。会う度に挨拶を交すのだが、それ以上の間柄でもなかった。イタリア空軍に働くお父さんで、たまに制服を来て、子供と歩いているのを良く見かけた。なんの用事かと思ったら、神妙な面持ちで伝えて来た内容は「地震のニュースを聞いたのだが、家族は大丈夫か?何か、助けられる事があったら言って欲しい。もし、チャリティーのイベントなどもあったら、それも教えてくれないか?」と言う事だった。

 近所のキオスクで見かけた「復興」の文字

彼以外にも、沢山のイタリア人の友人達や、知り合いが、日本の事を心配してくれた。電話やメール、または道端で、家族の安否や日本の状態について気遣ってくれた。遠い日本での出来事を、こんなに身近に感じてくれている。そして、出来る範囲で、何かをしたがっている人がたくさんいるのだ。なんと有り難い事だろう。

震災から数日後にはカトリック系の新聞が、震災について私に取材をした。それが紙面に載ったその日、ミラノ郊外の教会の神父が私にコンタクトをしてきた。「是非、私達の教会に来てスピーチをしてくれないか?」と言う。こんな時に、日本人と対話を持ちたいと言う人達がいて、それを断る理由は何もない。4月の初旬に、彼らの教会に行って来た。スイス国境にも近いであろうミラノ郊外の田舎町までは、車で小一時間程かかった。その集まりは、復活祭前のお祈りを兼ねていた。神父は、十字架の道行きというお祈りを早めに切り上げて、私を紹介した。何から話して良いかよく分からなかったが、彼らが次々に質問してくれたので、それに答えていくだけでも、ある種のスピーチになった。私がどうして信仰に至ったかの話と、震災後の日本の状況が話題の中心だった。日本では、カトリックが、かなりのマイノリティーである事に、みんなまずは驚き、そんな中で私が聖母マリアとの出会いを通して信仰に至った経過を話した。そして、震災については、ニュースそのものはみんな知っていたわけだから、日本の友人達がメールなどで私に知らせて来た話を中心に話した。出版業界の紙やインク不足など、災害地以外の被害についての話も結構新鮮に響いたようだった。都心の飲食、娯楽業界も大打撃を受けている事も、熱心にうなずきながら聞いてくれている人も見受けられて、救われた感じがした。そして、彼らはすでに、募金を集めてくれていて、それを渡したいがためにも、私を呼んだ事も分かった。田舎街の小さな教会のわりには、その募金がかなりの額で、とても驚いた。日常生活では見た事がない高額紙幣も何枚も入っていた。額はともかくとしても、そんな彼らの気持ちがとても嬉しかった。日本人の友人がいないカトリックコミュニティーが、日本人の私にわざわざコンタクトをとり、その新しい友人である所の私を呼んでまで、助けとなりたいと願ってくれたわけだ。募金を預かるなんて経験は私にとっては初めてで、預かった後、とても緊張した。他人の良心を預かったようなものだからだ。色々と調べて、カトリックのボランティア支援組織カリタスジャパンに送る事にした。

レオナルドダヴィンチ科学博物館で行われたイベント『Arte e Natura』
日伊の芸術家の講演会冒頭で、震災被害を想い、黙祷を捧げる参加者

その他にも春から夏にかけて、チャリティーイベントが目白押しだった。草の根で自発的にたくさんのイベントがあり、そのすべてに参加するのは到底、無理だった。そのすべてをここで紹介できないのも残念だ。ただ、普段通りの生活が負担にならない限りは、とにかく参加する事にした。

まずは、3月末には私も作品で協力したARTE GIAPPONEが企画したグループ展とコンサートがあった。在ミラノの日本人アーティストや音楽家の賛同と協力を得て実現した。イタリア人も大勢、押し寄せて来て大成功。アート作品の売上金と募金箱の義援金すべてが、被災地に送られた。Luce per Giapponeと言う有志が企画した別のコンサートも、ミラノ市内の中央で開かれた。その義援金は南三陸町の幼稚園の再建に使われるという事だった。ミラノがアートやオペラの中心地と言う事の地の利を活かしたイベントだった。

Arte Giapponeで行われたコンサート
いつ聞いても感動を誘ってしまう「ふるさと」


Luce per Giapponeという有志が集まって実現した
ここでも、コンサートの最後の方で、
オペラ歌手達が歌う「ふるさと」

世界中のデザイン界が集まるお祭り、ミラノサローネ(家具デザイン見本市)の時期にも、知る限り、『チャリティーボックス展』と『For Smiles Japan』と言う二つのイベントがあった。

『チャリティーボックス展』と名付けられたイベントでは、工業デザイナーや建築家などにいわゆるチャリティーボックス(募金箱)をデザインしてもらって、それを展示すると言う試みだった。見に来た人は、自分が気に入ったチャリティーボックスに募金し、それが則ち震災救援募金になると言う粋なアイディアだった。ミラノサローネの期間は4月の中旬。よくも、あそこまで準備できたと思う。

 『チャリティーボックス展』の様子

 チャリティボックスの一つに真剣に寄せ書きをする子供

 『For Smiles Japan』では、震災直後に被害地に入った在東京のイタリア人写真家ジャンニ・ジョスエ氏(www.giannigiosue.com)の写真を飾り、 寄せ書きコーナーがもうけられた。写真家自身も実際に来てくれて、スライドショーと講演をしてくれた。現地の声をイタリア人から聞くと言う不思議な体験だった。ミラノのトルトーナ地区と言う、ミラノサローネの期間では最高に人通りの多いゾーンが会場だったせいか、意図せず、なにげに入って来る人も多かったようだ。


 『For Smiles Japan』での、ジャンニジョスエ氏の講演会の様子

元々、ここ数年、イタリアでは、日本の存在感が上がって来ている。まずは空前の和食ブーム。9割が中国人経営とはいえ、ミラノには300軒もの和食レストランがあるとも聞く。私がミラノに来た10年前からくらべると10倍以上の数になっている計算になる。MTVでは日本のマンガをオシャレ文脈で放送し、キティーちゃんグッズを街で目にしない日はまずない。ミニマリズムのシンプルな家具や空間の事を、「ジャッポー(日本的?)で、アルマーニスタイルよね」と若者のスラングにも絡んでいる。「日本や日本人が、もしかしたら、オシャレで格好良いのではないか?」と、若者たちは意識している様だ。ファッションブログのページでも、日本人が被写体として、かなり食い込んでいるのも、彼らは決して見逃さない。

 ミラノのブティックで見つけた日本向け募金箱

そんな意識の高まりの中で震災でみせた日本人の落ち着きに、イタリア人は自分達にはないものを感じ、惹かれてたようだ。私が日本人なので、元々、日本に興味のある人達が寄って来る。しかし、震災後はそれ以上の何かを再確認させてくれた。彼らがチャリティー精神を発揮する時、お返しが欲しいわけではない。友情のような、なんらかの連帯感さえ感じる事ができれば、それで満足している。今回のこの場面では、日本は全面的に助けを求めても良い局面だったはずだ。

大抵のチャリティーイベントは、日本人が企画をして、それにイタリア人が絡んで来る形を取っていたが、完全にイタリア人が企画したイベントもあった。Camera 16という画廊の写真展は、「KOKORO」と言うタイトルをつけて、80人の写真家が参加した。ミラノの写真界のネットワークが、この写真展を成功に導いたようだ。参加している写真家の中には、有名な名前もいくつかあった。イタリア人独自でも、日本のためのチャリティーをしようとしてくれていたのだ。彼らの行動力に、ひたすら感謝したい。彼らイタリア人に誘われ、私も写真で参加した

 完全にイタリア人主導で企画されたチャリティー写真展『KOKORO』

この時期、私はミラノのロータリークラブでも講演する機会に恵まれた。「日本人がイタリアから学んでいるものと、イタリア人に学んで欲しい日本的なコミュケーション」について、話した。私たちが勝手にイタリアから学んでいる「ちょいワル」や「ミラノマダム」という概念を説明したり、イタリア人が惹かれている我々日本人のコミュケーションの空気感についての謎を解き明かしたりしてみた。ロータリークラブの友人から最初に講演の話があったのは去年だったので、当初はただ自分の写真の世界観を見てもらおうと思っていた。ただ、日本の存在感が、震災後色々な意味で高まっている以上、日本人の私は日本の事を語る必要性を感じた。。。

ミラノのロータリークラブでの講演。

理想論として、人の事を国境で分けたりしたくない。ただ、外国に住む私は自分が日本人である事を、時には無視できない場面がある。まずイタリア人から見ると、私が日本人であると言う事実はかなり重要らしく、何かと日本の事を聞いて来る。彼らにとっては私は日本という国と文化を代表する存在なのだ。そして、この外国人の私を暖かく迎え入れてくれている。それどころが、助けてくれようとしている。

日本の文化と人間性を磨いて来た先人達に、ただただ感謝している。しかし、逆を返せば、放射線や放射性物質を地球にまき散らしている国の一員としても、堂々と矢面に立たなければならないのかもしれない。我々が過去の世代に感謝するように、未来の日本人は、我々世代に感謝してくれるのだろうか?果たして、今、我々がするべき事を遂行しているのだろうか?

 ミラノのコーラスグループが企画した
チャリティーコンサートの会場前には
イタリアと日本の国旗が。


Tuesday, March 22, 2011

震災とインタビュー


ミサの告知記事の隣に
震災について、カトリック系の新聞のインタビューの受けた。被災者でもないので、私には語る資格などないようにも一瞬思えたのだが、とにかく在ミラノカトリック教徒の日本人に日本の話を是非とも聞きたいと言う趣旨だったので、喜んで協力した。

インタビューなので、自分の意見などは封印し、なるべく質問に答える事にした。多少の脱線は記事に動きを与える事があるものの、大きく脱線し過ぎても書けない事が多い。3月20日の日曜日にはDUOMO(ミラノの大聖堂)で、震災の日本人の為に祈るミサが予定されていた。私自身もジャーナリズムに関わるゆえ、そのミサの告知記事の隣辺りに私の記事が来る事も何となく予想できた。
 
(3月20日版のAvvenire。Giapponese(日本人)の文字が。
ミサをの告知と、私のインタビュー記事)


家が津波で流された友人の家族の話や、暖房や食料もままならないのに、被災地で風邪を引いている友人の話をした。日本は豊かな国だが、今、日本は現実的な助けを必要としている。

私は、遠くミラノに住んでいて、震災には関係ないようだが、仕事や用事のない時間の多くは震災関連のニュースをネットで集めている。海外ニュースと国内ニュースで温度差があり、その差の理由などを、またネット上で漂流して探すといった具合だ。のめり込みすぎて、吐き気を感じたりする事もある。共感疲労と呼ぶらしい。記事のタイトルには、「Sto male , ma devo essere forte (具合が悪くなったりもするけど、しっかりしなくてはならない)」と書いてあった。被災者ではない私たちも、なんらかの形でサポートに関わらなくてはならないのだから。

東京の友人達が、なるべくいつも通りに働こうとしていると言う話は、とてもリアルに感じたようだ。海外トップニュースは、津波や地震のハイライトが多いからだろう。現時点で東京が止まってら、日本全体が止まってしまう。 みんなパニックを起こさない様に、落ち着いて暮らす様に心がけている様だ。

インタービューの日は静岡でも地震があったばかりで、それについても触れる事となった。私は、その日、ネット上で震源地の地図と日本の地図を重ねたものを見た。震源地は、ほぼ富士山だった。「富士山を震源」と言わず、「静岡県で強い地震がありました」と伝えるニュースに、私は却って不安になってしまった。富士山は地理的にも日本の中心だが、精神的にも中心だから、富士山はぜひとも無事であって欲しい。静岡県には浜岡原発もある。

原発についてはとりあえず一行
原発については、今年イタリアで市民投票がある関係で、そのテーマだけで、イタリアでもゴールデンタイムに1時間程の特別TV番組を組むぐらいの大問題と捉えられている。だから、この記事では深く入るのを避けたのだろう。「体を張って働いている無名の志士に、我々は祈りを向けている」事が、一行触れられていただけだった。原発に関してはヨーロッパの世論が、大きく揺れ初めている。地球温暖化問題と原発推進は両輪で連動していただけに、これからも議論が続くだろう。

日本人なら、この苦難を超えられる。そう、みんな思っている。神は超えられない苦難など与えないのだから。でも、今、我々は助けを必要としている。そして、世界は日本の事を助けたいと思っているのだ。カトリック系の新聞社も、私へのインタビューでそれを再確認したかったのだろう。どう助けたら良いのかは、彼らもオファーしてくるだろうし、我々から頼んでも良い。もう、具体的な方法を探りはじめている段階に来ている。

記事が新聞が載った日、ミラノ郊外の教会の見知らぬ神父から早速メールが来た。日本のコミュニティーと対話を持ちたいという申し込みだった。

何かと忙しくなりそうだ。もしかすると、震災の影響で日本の媒体の仕事は減るかもしれない。それは、ちょうど良い。「日本の文化とか、今の状況とか、じっくり対話してやろうじゃないか。。。」ついでに、募金も集めてこよう。

イタリア人の日本への興味は、ここ数年かなりのものだ。空前の日本食ブーム、おしゃれなクールジャパン、教育水準の高さ、他人を尊重する態度。それに震災で見せた落ち着きとカミカゼ魂、、、、興味がつきないのだろう。

今朝は、電話で起こされてチャリティー美術展覧会の企画の連絡があった。メールにはテレビ局がインタビューに答える日本人を探していると言うメッセージが。。。

海外在住17年。たまにしか帰国もしないけど、日本人として産まれた自分に相変わらず感謝。


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