Tuesday, March 22, 2011

震災とインタビュー


ミサの告知記事の隣に
震災について、カトリック系の新聞のインタビューの受けた。被災者でもないので、私には語る資格などないようにも一瞬思えたのだが、とにかく在ミラノカトリック教徒の日本人に日本の話を是非とも聞きたいと言う趣旨だったので、喜んで協力した。

インタビューなので、自分の意見などは封印し、なるべく質問に答える事にした。多少の脱線は記事に動きを与える事があるものの、大きく脱線し過ぎても書けない事が多い。3月20日の日曜日にはDUOMO(ミラノの大聖堂)で、震災の日本人の為に祈るミサが予定されていた。私自身もジャーナリズムに関わるゆえ、そのミサの告知記事の隣辺りに私の記事が来る事も何となく予想できた。
 
(3月20日版のAvvenire。Giapponese(日本人)の文字が。
ミサをの告知と、私のインタビュー記事)


家が津波で流された友人の家族の話や、暖房や食料もままならないのに、被災地で風邪を引いている友人の話をした。日本は豊かな国だが、今、日本は現実的な助けを必要としている。

私は、遠くミラノに住んでいて、震災には関係ないようだが、仕事や用事のない時間の多くは震災関連のニュースをネットで集めている。海外ニュースと国内ニュースで温度差があり、その差の理由などを、またネット上で漂流して探すといった具合だ。のめり込みすぎて、吐き気を感じたりする事もある。共感疲労と呼ぶらしい。記事のタイトルには、「Sto male , ma devo essere forte (具合が悪くなったりもするけど、しっかりしなくてはならない)」と書いてあった。被災者ではない私たちも、なんらかの形でサポートに関わらなくてはならないのだから。

東京の友人達が、なるべくいつも通りに働こうとしていると言う話は、とてもリアルに感じたようだ。海外トップニュースは、津波や地震のハイライトが多いからだろう。現時点で東京が止まってら、日本全体が止まってしまう。 みんなパニックを起こさない様に、落ち着いて暮らす様に心がけている様だ。

インタービューの日は静岡でも地震があったばかりで、それについても触れる事となった。私は、その日、ネット上で震源地の地図と日本の地図を重ねたものを見た。震源地は、ほぼ富士山だった。「富士山を震源」と言わず、「静岡県で強い地震がありました」と伝えるニュースに、私は却って不安になってしまった。富士山は地理的にも日本の中心だが、精神的にも中心だから、富士山はぜひとも無事であって欲しい。静岡県には浜岡原発もある。

原発についてはとりあえず一行
原発については、今年イタリアで市民投票がある関係で、そのテーマだけで、イタリアでもゴールデンタイムに1時間程の特別TV番組を組むぐらいの大問題と捉えられている。だから、この記事では深く入るのを避けたのだろう。「体を張って働いている無名の志士に、我々は祈りを向けている」事が、一行触れられていただけだった。原発に関してはヨーロッパの世論が、大きく揺れ初めている。地球温暖化問題と原発推進は両輪で連動していただけに、これからも議論が続くだろう。

日本人なら、この苦難を超えられる。そう、みんな思っている。神は超えられない苦難など与えないのだから。でも、今、我々は助けを必要としている。そして、世界は日本の事を助けたいと思っているのだ。カトリック系の新聞社も、私へのインタビューでそれを再確認したかったのだろう。どう助けたら良いのかは、彼らもオファーしてくるだろうし、我々から頼んでも良い。もう、具体的な方法を探りはじめている段階に来ている。

記事が新聞が載った日、ミラノ郊外の教会の見知らぬ神父から早速メールが来た。日本のコミュニティーと対話を持ちたいという申し込みだった。

何かと忙しくなりそうだ。もしかすると、震災の影響で日本の媒体の仕事は減るかもしれない。それは、ちょうど良い。「日本の文化とか、今の状況とか、じっくり対話してやろうじゃないか。。。」ついでに、募金も集めてこよう。

イタリア人の日本への興味は、ここ数年かなりのものだ。空前の日本食ブーム、おしゃれなクールジャパン、教育水準の高さ、他人を尊重する態度。それに震災で見せた落ち着きとカミカゼ魂、、、、興味がつきないのだろう。

今朝は、電話で起こされてチャリティー美術展覧会の企画の連絡があった。メールにはテレビ局がインタビューに答える日本人を探していると言うメッセージが。。。

海外在住17年。たまにしか帰国もしないけど、日本人として産まれた自分に相変わらず感謝。


 (L'articolo in Italiano. Clicca l'immagine per ingrandire)



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