Thursday, July 28, 2011

ミラノで垣間みたチャリティー精神、日本人としての自分

震災の数日後、その訪問者は昔ながらの方法で、私の家にやって来た。互いの携帯番号やメールアドレスを知らないのだから、仕方がない。アパートのドアベルを、いきなり鳴らして来たのだった。近所の教会の日曜ミサで会う人だった。会う度に挨拶を交すのだが、それ以上の間柄でもなかった。イタリア空軍に働くお父さんで、たまに制服を来て、子供と歩いているのを良く見かけた。なんの用事かと思ったら、神妙な面持ちで伝えて来た内容は「地震のニュースを聞いたのだが、家族は大丈夫か?何か、助けられる事があったら言って欲しい。もし、チャリティーのイベントなどもあったら、それも教えてくれないか?」と言う事だった。

 近所のキオスクで見かけた「復興」の文字

彼以外にも、沢山のイタリア人の友人達や、知り合いが、日本の事を心配してくれた。電話やメール、または道端で、家族の安否や日本の状態について気遣ってくれた。遠い日本での出来事を、こんなに身近に感じてくれている。そして、出来る範囲で、何かをしたがっている人がたくさんいるのだ。なんと有り難い事だろう。

震災から数日後にはカトリック系の新聞が、震災について私に取材をした。それが紙面に載ったその日、ミラノ郊外の教会の神父が私にコンタクトをしてきた。「是非、私達の教会に来てスピーチをしてくれないか?」と言う。こんな時に、日本人と対話を持ちたいと言う人達がいて、それを断る理由は何もない。4月の初旬に、彼らの教会に行って来た。スイス国境にも近いであろうミラノ郊外の田舎町までは、車で小一時間程かかった。その集まりは、復活祭前のお祈りを兼ねていた。神父は、十字架の道行きというお祈りを早めに切り上げて、私を紹介した。何から話して良いかよく分からなかったが、彼らが次々に質問してくれたので、それに答えていくだけでも、ある種のスピーチになった。私がどうして信仰に至ったかの話と、震災後の日本の状況が話題の中心だった。日本では、カトリックが、かなりのマイノリティーである事に、みんなまずは驚き、そんな中で私が聖母マリアとの出会いを通して信仰に至った経過を話した。そして、震災については、ニュースそのものはみんな知っていたわけだから、日本の友人達がメールなどで私に知らせて来た話を中心に話した。出版業界の紙やインク不足など、災害地以外の被害についての話も結構新鮮に響いたようだった。都心の飲食、娯楽業界も大打撃を受けている事も、熱心にうなずきながら聞いてくれている人も見受けられて、救われた感じがした。そして、彼らはすでに、募金を集めてくれていて、それを渡したいがためにも、私を呼んだ事も分かった。田舎街の小さな教会のわりには、その募金がかなりの額で、とても驚いた。日常生活では見た事がない高額紙幣も何枚も入っていた。額はともかくとしても、そんな彼らの気持ちがとても嬉しかった。日本人の友人がいないカトリックコミュニティーが、日本人の私にわざわざコンタクトをとり、その新しい友人である所の私を呼んでまで、助けとなりたいと願ってくれたわけだ。募金を預かるなんて経験は私にとっては初めてで、預かった後、とても緊張した。他人の良心を預かったようなものだからだ。色々と調べて、カトリックのボランティア支援組織カリタスジャパンに送る事にした。

レオナルドダヴィンチ科学博物館で行われたイベント『Arte e Natura』
日伊の芸術家の講演会冒頭で、震災被害を想い、黙祷を捧げる参加者

その他にも春から夏にかけて、チャリティーイベントが目白押しだった。草の根で自発的にたくさんのイベントがあり、そのすべてに参加するのは到底、無理だった。そのすべてをここで紹介できないのも残念だ。ただ、普段通りの生活が負担にならない限りは、とにかく参加する事にした。

まずは、3月末には私も作品で協力したARTE GIAPPONEが企画したグループ展とコンサートがあった。在ミラノの日本人アーティストや音楽家の賛同と協力を得て実現した。イタリア人も大勢、押し寄せて来て大成功。アート作品の売上金と募金箱の義援金すべてが、被災地に送られた。Luce per Giapponeと言う有志が企画した別のコンサートも、ミラノ市内の中央で開かれた。その義援金は南三陸町の幼稚園の再建に使われるという事だった。ミラノがアートやオペラの中心地と言う事の地の利を活かしたイベントだった。

Arte Giapponeで行われたコンサート
いつ聞いても感動を誘ってしまう「ふるさと」


Luce per Giapponeという有志が集まって実現した
ここでも、コンサートの最後の方で、
オペラ歌手達が歌う「ふるさと」

世界中のデザイン界が集まるお祭り、ミラノサローネ(家具デザイン見本市)の時期にも、知る限り、『チャリティーボックス展』と『For Smiles Japan』と言う二つのイベントがあった。

『チャリティーボックス展』と名付けられたイベントでは、工業デザイナーや建築家などにいわゆるチャリティーボックス(募金箱)をデザインしてもらって、それを展示すると言う試みだった。見に来た人は、自分が気に入ったチャリティーボックスに募金し、それが則ち震災救援募金になると言う粋なアイディアだった。ミラノサローネの期間は4月の中旬。よくも、あそこまで準備できたと思う。

 『チャリティーボックス展』の様子

 チャリティボックスの一つに真剣に寄せ書きをする子供

 『For Smiles Japan』では、震災直後に被害地に入った在東京のイタリア人写真家ジャンニ・ジョスエ氏(www.giannigiosue.com)の写真を飾り、 寄せ書きコーナーがもうけられた。写真家自身も実際に来てくれて、スライドショーと講演をしてくれた。現地の声をイタリア人から聞くと言う不思議な体験だった。ミラノのトルトーナ地区と言う、ミラノサローネの期間では最高に人通りの多いゾーンが会場だったせいか、意図せず、なにげに入って来る人も多かったようだ。


 『For Smiles Japan』での、ジャンニジョスエ氏の講演会の様子

元々、ここ数年、イタリアでは、日本の存在感が上がって来ている。まずは空前の和食ブーム。9割が中国人経営とはいえ、ミラノには300軒もの和食レストランがあるとも聞く。私がミラノに来た10年前からくらべると10倍以上の数になっている計算になる。MTVでは日本のマンガをオシャレ文脈で放送し、キティーちゃんグッズを街で目にしない日はまずない。ミニマリズムのシンプルな家具や空間の事を、「ジャッポー(日本的?)で、アルマーニスタイルよね」と若者のスラングにも絡んでいる。「日本や日本人が、もしかしたら、オシャレで格好良いのではないか?」と、若者たちは意識している様だ。ファッションブログのページでも、日本人が被写体として、かなり食い込んでいるのも、彼らは決して見逃さない。

 ミラノのブティックで見つけた日本向け募金箱

そんな意識の高まりの中で震災でみせた日本人の落ち着きに、イタリア人は自分達にはないものを感じ、惹かれてたようだ。私が日本人なので、元々、日本に興味のある人達が寄って来る。しかし、震災後はそれ以上の何かを再確認させてくれた。彼らがチャリティー精神を発揮する時、お返しが欲しいわけではない。友情のような、なんらかの連帯感さえ感じる事ができれば、それで満足している。今回のこの場面では、日本は全面的に助けを求めても良い局面だったはずだ。

大抵のチャリティーイベントは、日本人が企画をして、それにイタリア人が絡んで来る形を取っていたが、完全にイタリア人が企画したイベントもあった。Camera 16という画廊の写真展は、「KOKORO」と言うタイトルをつけて、80人の写真家が参加した。ミラノの写真界のネットワークが、この写真展を成功に導いたようだ。参加している写真家の中には、有名な名前もいくつかあった。イタリア人独自でも、日本のためのチャリティーをしようとしてくれていたのだ。彼らの行動力に、ひたすら感謝したい。彼らイタリア人に誘われ、私も写真で参加した

 完全にイタリア人主導で企画されたチャリティー写真展『KOKORO』

この時期、私はミラノのロータリークラブでも講演する機会に恵まれた。「日本人がイタリアから学んでいるものと、イタリア人に学んで欲しい日本的なコミュケーション」について、話した。私たちが勝手にイタリアから学んでいる「ちょいワル」や「ミラノマダム」という概念を説明したり、イタリア人が惹かれている我々日本人のコミュケーションの空気感についての謎を解き明かしたりしてみた。ロータリークラブの友人から最初に講演の話があったのは去年だったので、当初はただ自分の写真の世界観を見てもらおうと思っていた。ただ、日本の存在感が、震災後色々な意味で高まっている以上、日本人の私は日本の事を語る必要性を感じた。。。

ミラノのロータリークラブでの講演。

理想論として、人の事を国境で分けたりしたくない。ただ、外国に住む私は自分が日本人である事を、時には無視できない場面がある。まずイタリア人から見ると、私が日本人であると言う事実はかなり重要らしく、何かと日本の事を聞いて来る。彼らにとっては私は日本という国と文化を代表する存在なのだ。そして、この外国人の私を暖かく迎え入れてくれている。それどころが、助けてくれようとしている。

日本の文化と人間性を磨いて来た先人達に、ただただ感謝している。しかし、逆を返せば、放射線や放射性物質を地球にまき散らしている国の一員としても、堂々と矢面に立たなければならないのかもしれない。我々が過去の世代に感謝するように、未来の日本人は、我々世代に感謝してくれるのだろうか?果たして、今、我々がするべき事を遂行しているのだろうか?

 ミラノのコーラスグループが企画した
チャリティーコンサートの会場前には
イタリアと日本の国旗が。


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