Saturday, June 29, 2013

撮影で垣間みたアルマーニの秘密

想像さえ寄せ付けないバイヤー時代のアルマーニ

モード界の帝王、ジョルジオ・アルマーニ(1934年7月11日生まれ/蟹座、動物占い:物静かなひつじ)は、マルチェロ・マストロヤンニやソフィア・ローレンなど往年の名優や、レナルドダヴィンチやボティチェリなどのルネサンスの芸術家と並んで、世界で最も知られているイタリア人の一人なのではないだろうか?ことファッションに疎い人でも、「アルマーニの名前だけは知っている」と言う人も多い。どうして、彼はこんなにも有名なのか? 

 

驚くべき事に、彼がファッションブランド「GIORGIO ARMANI」を立ち上げたのは40歳を過ぎてからだという。


ミラノのデパート「リナシェンテ」のバイヤーだった頃の彼はどんな若者だったのだろうか?普通のミラノの若者同様に、友達と出歩いたりしていたのだろうか?そんな私たちの陳腐な想像力を全く寄せ付けないくらいに、彼のオーラは完全に「帝王ジョルジオ・アルマーニ」なのである。彼は30年の間にファッション界に大帝国を作り上げてしまった。



若者がたむろするミラノの夏(写真:仁木岳彦) 


GiappoでSTILE ARMANIなもの

家具、食器、グラフィックデザイン……そしてもちろん洋服でも、とにかくシンプルで上質なミニマリズムを見つけたときに、イタリア人の若者が「GiappoでStile Armaniで格好いいね」と、口にしたりする。「Giappo」は若者のスラングで「日本っぽい」の意らしい。「日本っぽくって、 ちょっとアルマーニスタイルだし、行けてるね」という意味なのだろう。
ミニマリズムの美の代名詞といえば、日本とアルマーニなわけだ。そんな言い方がされるくらいに、彼の美の哲学は人々に根付いてしまっている。その明確でダイレクトな美のメッセージは、世界中に受け入れられたと言っても良いだろう。
ミラノにある「ARMANI NOBU」という日本食レストランに行くと、経営者であるアルマーニ自身もたまに食べに来る。私も出くわしたことがあるのだが、彼のお出ましが、なんと言ってもこのレストランの最大のイベントと言っても良いだろう。帝王おでましのときは、客達が控えめにざわめく。しかし、そんなことは気にもせず、辺りを見まわして、曲がっているテーブルなどを几帳面な感じで自分で直していたりする。「実際に知られている通り、几帳面で、完璧主義者なのかもしれない。しかし、案外若い頃には苦労した人なのかもしれないなあ……」などと、私は勝手に思いめぐらしたりしたのだった。



GIORGIO ARMANI(写真:仁木岳彦)

性能の良いラジオ、完璧なポートレート

そんなジョルジオ・アルマーニのポートレート撮影のときには、うやうやしく付き人が何人もついてきた。付き人のボスが撮影に関して、細部に渡っていろいろと指図してくるのだが、私は聞くだけ聞いて、あまり気にしない事にした。アルマーニ自身との会話が普通に交されている以上、そちらを優先すべきだろう。なんと言っても、被写体の彼自身が、私の欲していることに、注意深く耳を傾けてくれていたのだから。
撮影を始めてしばらくは、いつも通りのお決まりの笑顔を投げかけてくれた。しかし、それがいかにも”アルマーニ・スマイル”だったので、ファインダー越しに「もうちょっと真面目な顔、お願いできますか?」と聞いてみた。「No! No Serious, please!」と付き人が叫んでいる横で、アルマーニは私が正に求めていた、物想いにふける静かで完璧な表情を返してくれた。
撮影中に、フォトグラファーの私がエネルギーを吹きかけると、アルマーニの体の中を何のブロックもなしに、そのまま突き抜けて行く感じがした。彼のアンテナは、私が必要としていることを的確に受信していた。そして、そのエネルギーを何倍にも増幅させて、私に返してきたのだ。格段に性能の良いラジオの様だった。今まで何千人ものポートレートを撮って来たのだが、この増幅作業において彼以上の人に会った事はない。撮影は、ほんの数分だったのだが、彼のスタイルを象徴するような静けさの漂うミニマルなものとなった。 

同じようにして、彼はそのアンテナで、市井の人々と時代が渇望しているスタイルを的確に受信することができるのだろう。そして、それを臆することなく最大限に増幅して世界に発信してきたに違いない。

撮影を通して、そしてまた出来上がったポートレートをしばし眺めて、“モードの帝王”の秘密の一部を垣間みた気がした。 



(本文は、2009年の集英社ウェブウオモから加筆転載したものです。)