Wednesday, September 26, 2012

楽園帰りを夢見る地中海の夏

バカンスでミラノが止まる8月

8月のミラノの人口は、どれぐらい減るのだろう?通りを行き交うクルマも少なく、異様な静けさが漂う。

ミラノでは桜の花が咲く春くらいから、「今年の夏はどうするの?」などという会話が飛び交う。気の合う仲間なら、「一緒に何かしようよ」という話や、他人の経験談がバカンスコンサルタントに発展する事もある。とにかく、会社員でも、平気で2~3週間ぐらいのバカンスに出てしまう。自由業の人や富裕層のバカンスは、もっと長い場合もあるだろう。
8月は、ミラノが止まってしまうと考えて良い。日本の元旦が、ひと月続くという感じだ。今でこそ8月でも営業しているスーパーマーケットは結構あるのだが、ひと昔前は、夏のミラノでは普通の暮らしをするのも大変な状態だったと聞く。

まあ、私の知る限りの周りのイタリア人の様子なのだが、バカンスに関しては強迫観念的なこだわりがあるようだ。「良いバカンスを送ることができなかったなら自分の価値がなくなってしまう」という恐怖感さえあるのではないか?バカンスなしではアイデンティティークライシスに陥ってしまうことだろう。要するに、バカンスを誰とどう過ごすかで自分と言う人間を表現し、自分の存在理由を再確認すると言った感じだ。加えて、ここぞとばかりの、見栄の貼りどころでもあるようだ。

 犬捨て防止を呼びかけるポスター。

ペットを捨ててまでバカンスに夢中

イタリアでは夏のバカンス前になると、銀行からバカンスローンで借金したり、クルマを売って資金をつくったり、ペットの犬を捨ててでもバカンスに行くらしい。借金をしたりクルマを売ってでも、と言うのはまだ可愛い話なのだが、「犬を捨ててでも」というのは信じがたいものがある。ペットと一緒に滞在できるバカンス先は限られており、それが無理な場合、本当に道端などに捨ててしまうとの事。
バカンス時期におけるイタリアの捨て犬は6万匹ともいわれ、社会現象にもなっている。市や政府などが「犬を捨てないように!」と言うキャンペーンを実施しており、街の至る所にポスターが貼ってあったりする。
バカンス文化をはたから見ると「人生を楽しむことを知っている地中海文化の優雅なライフスタイル」という風に映るだろう。実際にその通りの部分もあるだろうが、捨て犬の実情は、いささか度が過ぎている。バカンスへの執着は、私たちが想像以上のモノで、強迫観念にほかならないと思うのだ。
 

失楽園とバカンス

旧約聖書によると、アダムとイブが住んでいたエデンの楽園では働く必要もな く、なに不自由なく暮らしていた。キリスト教を信じるものにとっては、それこそが理想の生活であり、元来あるべき姿なのだ。蛇に誘惑されるまま、触れる事を禁じられていた知恵の木の実「リンゴ」を食べてしまい、彼らは楽園を追われた。この「失楽園」こそが、人類の原罪のルーツである。人類の苦悩はそこからはじまった。そして、働く必要性が出て来たのも、まさにそれが起源なのだ。
この聖書にある「楽園の想い出」と、現代イタリア人の「バカンス観」を、私は重ねて見ている。自分たちの遠い祖先と楽園への憧れが強迫観念になっていったのではないか。イタリア人は、8月のバカンスに先祖代々続くその想いを少しでも晴らそうと懸命なのだろう。 彼らにとっては、働かない状態こそが「元来あるべき姿」であって、そこに戻ろうと必死にもがいているような……。楽園帰りを夢見るキリスト教徒の夢。少なくとも、私にはそう見えるのだ。

ミラノからさほど遠くないリグーリア地方の海

とは言っても、便乗バカンス!

彼らのバカンスに対するこだわりは、イタリアで十回以上の夏を過ごした私にも到底理解しがたい。強迫観念や過度のこだわりや見栄から解放されて、身の丈にあったストレスフリーなバカンスを過ごすことができたなら、より豊かな夏になることだろう。

「我々にバカンス文化を完全に理解するのは難しい」などと言いつつも矛盾するようだが、実は、私も多少なりとも便乗バカンスをする事にしている。地中海の夏は確かに美しい。天気が毎日よくて、乾いた空の色や風の匂いも格別に心地がいい。

夏に楽しまないで、いつ楽しむというのか???とりあえず、海か山に行こうではないか!!!ただし、強迫観念にはとらわれぬように……。

そして、秋はバカンス自慢の季節。よく、懲りないなあ。


P.S.
2009年にWebUomoに掲載した文章に加筆しました。しかし、実はこのバカンス、夏の節電にもなっているんですよね。これって、もしかすると、地中海の知恵なのかもしれない。「暑いならクーラー」じゃ体にも悪いし、心地よくない。それで「暑いなら休みに、そして涼しい場所へ移動」と言う人間の精神と肉体の賛美???が、思わぬ効果を生んでいると言うか。。。南欧のエコロジーは、論理ではなくて、そんな人間主体の気分そのものがリードしているようです。

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