Thursday, January 29, 2015

「死ぬことを忘れた長寿の島」エーゲ海に浮かぶイカリア島

ギリシャ神話には、ニケやキューピッド、イカロスなど、天使のように羽のある神様が何人かいます。僕が今いるイカリア島はその名からも想像できる通り、イカロスと縁のある土地だそうです。

ライフワークのひとつが天使像の撮影でもある僕はそんな島の名前と、「老人が長寿で元気な島」という記事を読んで以来、このイカリア島に興味を持ちました。世界でも数か所しかない特別な長寿地域として、沖縄の一部やイタリアのサルデニア島山間部などと共に研究対象として選ばれているそうです。なんと、この島の長寿率は、欧州平均の10倍とも言われています。

 スーパームーンの満月の日に海を眺めていて
「できる限り長生きしたいなあ」と考えたりした。
確かに、そう思わせるくらいの地中海の絶景。

 猫のカップルの昼寝姿。
遠望する山の中腹に養蜂箱が並んでいた。

島をクルマで行くと、ヒッチハイクしている島民に頻繁に出会います。島全体にコミュニティー意識がみなぎっている様子。こんな仲間たちに見守られている感覚も、人生を豊かに謳歌するために重要なことなのかもしれません。

ホテルの朝食のパンやヨーグルトと共に味わう島内産の蜂蜜は、香りに複雑な深みがあって驚きました。地中海の太陽の恵みでしょうか。

ローマ時代には、ここに温泉場があって賑わったそうです。源泉は今でも現役で、公共の蒸し風呂が地元のお婆ちゃんたちの語らいの場になっていました。

 街の広場にて、蒸し風呂で会話したお婆ちゃんに再会。

  豪勢にフェタチーズをのせたギリシャサラダ。

島の南側に天然の露天風呂がある事を聞きつけて、早速行ってきました。海岸に摂氏60度近くもある熱い天然源泉が注がれ、海水と混じり合ってちょうどいい湯加減に。波の押し寄せ方によって、多少温度が下がったり上がったり一定でないのが、更に良い感じ。海水のワイルドな揺らぎに身をゆだねつつ、地中海を最高の気分で眺めてきました。

海岸の石が赤いのは、温泉の色。
源泉近くは日本の銭湯並みに熱く、良い湯加減な場所を自ら探す。


コーヒーの粉の触感も魅力。大概、頼まなくても水がついてくる。

街の広場にはカフェテリアが軒を連ねています。日陰のテーブルに座ってみました。入浴後の心地よい疲労感にギリシャコーヒーのほろ苦さが効きます。 オーダーの際に砂糖の量を聞かれます。フィルターで漉さないので、作る時にコーヒー粉と砂糖を同時に入れてしまうんです。粉がカップの底に沈 むのを悠長に待ってから、のんびりと飲むのです。

読んだ記事によると、老人が元気な地区ではコミュニティー意識の高さや野菜をふんだんに使った食生活、歩行を始めとする運動が自然に生活に組み込まれていることなど、ライフスタイルに一定の共通点があるそうです。

それに、この島の場合はきっとあの香り高い蜂蜜やほろ苦いギリシャコーヒー、それに温泉や地中海の絶景などの刺激が、長寿に良い影響を与えているのでは・などと僕は想像しています。






雑誌『珈琲時間』2015年2月号から、転載加筆させて頂きました
全国の書店、アマゾンなどで販売中です。

Monday, September 15, 2014

ヨガ瞑想と、螺旋の蛇「クンダリーニ」

螺旋のくねりと瞑想
僕の場合、ライフスタイルが、趣味とプライベートと仕事で渾然一体と混沌としているからか、熱意をもって習い事などに取り組む事が、どうもなかなか難しい。

そんな中で、唯一続いているのは「ヨガと瞑想」。15年以上も続いている。さほど上達する訳でもなく、なにか目標があるわけでもないのだが、カラダが欲するので、とにかく続いているのだ。

ニューヨークに住んでいた20代、写真の勉強が一段落した頃、撮影を通して、肉体とその見せ方にも興味があり、ダンススクールに通っていた時期があった。全身を使って表現活動するダンサーに、とかく憧れていたのだ。

ダンサー達の生活を見ていて、彼らがステップを踏む前に、肉体のチューニングに多大な時間をかける事を知った。その頃、ダンススクールで出会ったのがヨガ。多数のダンサーが、単なるストレッチではないヨガの重要性を感じていた様子だった。ダンサー達に混じってのヨガは、ひたすら自分の体の硬さが際立ったものだ。どんなポーズをしてみても、自分の目線が他のダンサーよりも数段高くて、自分が不器用な熊になった様な気分だった。


ウォーミングアップ中のダンサー

ダンススクールのヨガのクラスを何年か続けていた頃、それだけでは物足りなくなり、マンハッタンのチェルシー地区にあったインド系ヨガ道場の門を叩いた事があった。そこは祭壇などもあって、いかにもそれらしい雰囲気があった。特別な呼吸法も教えてくれて、アクロバットなポーズも教えてくれた。元々、ダンススクールのヨガのベースがあっただけに、技の取得は簡単だった。メソッドが確立されていて、先生方に長年の経験がなくても、マニュアルに従って教えられるシステムになっていた。

そして、僕が、そのヨガ道場の数回目のクラスを終えた後、不思議な事が起こったのだった。帰り道、信号で待っていると、腰の辺りが上から見て時計回りに勝手にくねりだしたのだ。そして、チェルシーホテルの隣のビルにあった写真スタジオに戻るために、エレベーターを待っていた時も、また、同じ様に腰の辺りに時計回りの螺旋のくねりを感じるのだった。

「なんだ、なんだ?俺は狂ってしまったのだろうか?」

と自分を疑った。不動の地に立っているはずなのに、自分一人で勝手に、腰の辺りでバランスを取っている様な感じだった。歩いている時にはなにも感じないのに、信号待ち、エレベーター待ちなど、立ち止まると、その動きを感じるのだった。もの好きで好奇心旺盛な僕は、その時、ひらめいたのだった。静かにすればするほど、その動きを感じるのだから、、、

「座ってみよう!」

それが初めての瞑想の体験だった。完全に我流で、どこかで見た様な瞑想座禅のポーズで座ってみた。すると、その時計回りの螺旋の動きは、俄然、活発化した。普段は、僕たちが動く時は、脳が命令して筋肉を動かして、何かの目的を達成する事が多い。しかし、その時は、自分の意思はおろか、筋肉さえも使わずに、背骨の一番下辺りから、込み上げるエネルギーを源に動いている感じだった。その螺旋のくねりは、座っていられないほど強烈な動きで、上からみると必ず時計回りだった。そして、反時計回りには絶対に動かないのも不思議で仕方なかった。不思議な体験に、僕は無邪気に歓喜していた。



 ガンジス川のほとり
早朝の瞑想者


クンダリーニとは。
数日後、書店に駆け込んで、ヨガや精神世界の本を探してみた。入門書には全く興味が涌かず、ヨガとチャクラの難解な専門書を買ってみた。

その本を読み進めるうちに、探していた一行が見つかったのだった。
ーーー生命の根源エネルギーとも言える「クンダリーニ」は、蛇の形をして、背骨の付け根に時計回りにとぐろを巻いて、普段は眠っている、、、、ーーー

「なんと、時計回りと書いてあるではないか????」


 よく見ると、ミラノのドゥオモ大聖堂の丸い天窓に、
三つ巴にも似た、「時計回り」にまわる勾玉風のデザインを見つけた。
この広場を通る度に、つい気になって、魅入ってしまう。

ただ、クンダリーニは鍛錬をして、少しづつ目を覚ますエネルギーであると書いてあった。嬉々として、友人達に自分の体験を語ってみた。みんな面白おかしく「相変わらず、変わり者だなあ」と呆れた感じで話を聞いてくれた。そんな中で一人だけ、「その話、私の瞑想の先生に聞いてみるわ」と言ってくれた友人がいたのだった。

そして、瞑想の師曰く、「その彼をすぐに連れていらっしゃい」との事。僕も自分の疑問解決の為、すぐに瞑想の師に会いに行き、早速、瞑想を習う事に。

そこで習った数々の教えと、初期段階で正しい方向に導いてくれた事には、未だに感謝している。師によると、僕の場合、その時計回りの動きは軸を失って、全横方向にブレまくっているので、クンダリーニのエネルギーに「酔っている」状態なのではないかと言う事だった。クンダリーニ覚醒によるエネルギーは、時計回りなのは正解なのだけれども、その動きは、目に見えないくらいに微細であるべきで、しかも天と地に向かって、もっと縦方向に伸びる様なものでなくてはならないとの事だった。

「書き言葉」と「話し言葉」の教え
ところで、密教と言うのは、相手のレベルによって、教えや話のレベルを変化させて、「口伝え」を重視する教えだ。だから、レベルに合わない書物や教えも、遠ざけなければならない。だから、秘密な部分もあるわけだ。レベルの低い人が、レベルの高い教えを無闇に読んだりすると勘違いを起こす可能性が高いと言うのが密教の「話し言葉」を重視するロジックだ。

僕が試しに通ってみたインドヨガ道場は、初心者の僕にも呼吸法やアクロバティックなポーズをシステマチックに教えてくれた。指導者に長い経験も必要なく、要するに、マニュアルのヨガポーズのパターンを、養成コースの短い時間で習得して、教えてくれていたのだ。このマニュアル文化は「書き言葉」を重視しているロジックと言えるだろう。

その時計回りの螺旋のくねりの動きに関しては、そのマンハッタンのインドヨガ道場の先生達にも質問してみた。しかし、彼らのレッスンの後に、その動きを感じたのにも関わらず、誰も納得のいく答えをくれなかった。本当はカラダ全体を少しづつ覚醒していく必要があるのに、いきなり高度な技を教えてもらい、しかも簡単に習得してしまったために、クンダリーニの一部がバランス悪く、一時的に目覚めたと言う事だろう。

瞑想の師によると、そのまま、時計回りの動きを無闇に楽しんでいたら、心身のバランスを崩していただろうという話だった。振り返ると、その頃の僕は、線が細いまま、感性が尖ってしまっていて、なんとも脆い感じだったのだ。それからと言うもの、自身のアンテナの先は針の様にとんがっていても、円錐の様に底はどっしりとした安定感になるように、地に足が着いたスピリチュアルな感性を鍛える訓練をしていく事とした。早い段階で、方向性を改める事ができてラッキーなケースだったと言えるだろう。

ヨガや瞑想も侮れない。十分にその教えの深さを理解していないと、良い方向にも悪い方向にも作用するだろう。そして、「書き言葉」のロジックの危険性を思い知ったのだった。初心者にもマニュアル通りに高度なテクニックを教えてくれたのが、僕を必要以上に刺激したのだ。「書き言葉」では、すべてを説明する事はできない。そして、書物やマニュアル、単純化したメソッドから勉強するだけでは、絶対に習得できないモノもある。無限の方向性とレベルが考えられるヨガや瞑想などは、師について「話し言葉」のロジックの「口伝え」を通して、学ぶべきだと思うのだ。

ミラノで、とぐろを巻く蛇のデザインを見つけた。自分のカラダが内包していた動きが、 見事にシンボル化されているのだから、初めて気がついた時は、本当に驚いたものだ。救急車には「アクレピオスの杖」、薬局には「ヒュギエイアの杯」と言う ギリシャ神話に由来するシンボルが描かれているのだ。ギリシャ神話でも、螺旋の蛇のくねりは、「生命の源」と理解されていたのだと、僕は確信している。いにしえの英知が、身近なところに描かれていて、僕は観る度にハッピーになる。日本でも、「アクレピオスの杖」が描かれた救急車があるようだ。救急車を見かけた時は、是非とも注目してみて欲しい。



ギリシャ神話に登場する名医アクレピオスは、蛇が絡まった杖を持っていたと言う。
 「アクレピオスの杖」は医学のシンボルとして、
WHO(世界保健機関)、軍医や衛生兵、そして、各国の救急車などに使われている。
西洋でも東洋でも、生命の源のイメージが似ていると言えるのではないか?
僕のカラダにも内包されていた螺旋の動きが、
ミラノ市街を走る救急車に描かれていたのだ。



  ギリシャ神話で、ヒュギエイアは名医アクレピオスの娘。
彼女が持っていたのが「ヒュギエイアの杯」。
こちらは薬学のシンボル。
ヨーロッパの薬局の看板などに良く使われている。


地球とコリオリ。
螺旋のくねりの動きが、決まって時計回りだったのは、地球の自転が体に影響を与えているのではないかと、僕は勝手に結論づけている。

ところで、我々が日々使っている「時計」が、右回りなのは、北半球の日時計の動きに由来する。南半球では、日時計の影は左回りに回るのだ。我々が毎日使っている時計が右回りなのは、時計が北半球で起こった文化だからだ。

それとも関係があるのだが、「コリオリ」と呼ばれる物理の法則に、自分の体が反応していたのではないかと思うのだ。例えば、水瓶に水を張って底に穴を開けると、北半球では、水は反時計回りに回りながらに落ちていく。対して、南半球では、その逆に時計回りで落ちて行き、赤道直下では水は回ることなく落ちて行く。

そんな水の動きにも見られる様に、重力には、多少なりとも回転がかかっているのだ。「空」を体験すると、その重力の微細な回転を感じて、カラダがバランスを取るのではないだろうか?それをクンダリーニエネルギーと呼んでいるのだろう。

だから、もし、インド文明が南半球で起こったなら、クンダリーニは反時計回りに蛇がとぐろを巻いていたと解釈されていた可能性もある。


瞑想で束ねられるカラダ、キモチ、アタマ。 
そして、僕の少ない経験と理解の範囲では、ヨガのエキササイズでのカラダのチューニングが、瞑想の方向性を決定づけている。僕の瞑想は、体を駆け巡るエネルギーを注視しているだけで、その情報があまりに多く、アタマからの雑念が浮かばないと言うタイプだ。ヨガでカラダを動かしていない時期は、瞑想もうまくできない。

自分を「アタマ」、「キモチ」、「カラダ」と、三つのパートに分けて考えて見る。僕は何かに迷った時は、「アタマ」の論理や「キモチ」の情動よりも、「カラダ」の情報に委ねる事にしている。もし、「アタマ」からの情報に従って動くと、経験上、低次元なスパイラルにはまっている自分にもがく事になる。理想としては、「カラダ」からの饒舌な情報に、まずは「キモチ」を、そして「アタマ」を順応させていく感じだ。

単純化しすぎかもしれないが、「カラダ」と「キモチ」と「アタマ」を一体化する事が、すなわち幸福の原点なのではないかと感じている。そして、僕の場合は、それらを一体化して束ねる作業が、何を隠そう瞑想なのである。

個人的にも社会的にも様々な場面で、我々は、「カラダ」や「キモチ」から切り離した、「アタマ」の情報で決断している事も多いだろう。そして、その「アタマ」からの情報は、世をスピード感をもって発展させる事ができても、それを歪んだ形に発展させている原因ではないかと、僕は思っている。


突然、柔らかくなったカラダ
あと、もう一つ関連する事で、面白い出来事があった。僕は学生時代から、ダンサーの写真をずいぶんと撮影した経験がある。ある時、ダンスの舞台を撮るだけではなくて、、、自分も振り付けに関わりながら写真撮影をした事があった。要するにダンスの舞台などを客観的に撮影するだけではなくて、僕も積極的に振り付けの指示をだして、撮影のためにダンスしてもらったのだ。撮影しているうちに、ダンサーとの息も完全にシンクロしていく。自分が踊っているかのような錯覚を覚えたりした。


彼が踊ると、なぜだか劇場全体の空気が揺れた。

不思議だったのは、その撮影の日を境に、僕の体が糸人形の糸が切れたように急に柔らかくなったのだった。日頃からヨガを欠かさない生活をしていたので、自分のカラダの硬さは熟知していた。どんなポーズがどれくらい出来て、どんなポーズがどれくらい出来ないかは、カラダで覚えていたはずなのに、ある日突然、床にべったりとカラダを沿う事ができるぐらいに、柔らかくなってしまったわけだ。

多分、僕らの生活は必要以上に、アタマが限界を作ってしまっているのではないだろうか?「人生はこんなもんだ」、「人間の能力はこんなもんだ」、、、普段は色々な限界の壁を作って生きているのに、あの時は、その限界の壁を、撮影を通して超えてしまったのだろう。僕は、時に妙に素直な部分があるからか、ある意味では勘違いなのだが、撮影時にダンサーと一体化してしまい、アタマが作っていた限界の糸を、ぷっつりと切ってしまったのだろう。僕らのカラダが硬いのは、筋や腱などのカラダの細部が硬いだけでなく、アタマが硬い事の証拠に他ならないのだ。

僕らが、スポーツやダンスや音楽などのパフォーマンスを見て、うっとりするのは、そんな限界を少しでも超えようとする、彼らの集中力に感動しているのかもしれない。。。スポーツやコンサートを観る事によって、勘違いでもアスリートやパフォーマーになりきる事で何か、アタマの限界を破ってくれそうな気がするから、僕らは、繰り返し彼らを見に行くのではないだろうか。

糸人形の限界の糸をもっと切って、人生のステップを自由に踏みつづけたいと思う。アタマで作られた限界を、自分に押し付けない限り、カラダは、元来とても饒舌なものなのだもっと、その声に耳を傾けるべきではないか?ただ、重要なのは、カラダの奥から込み上げてくる様な溢れるエネルギーほど大切なモノはないのに、決してそのパワーに酔ってしまってはいけないのだ。このバランスは、様々な場面に応用できるような気がしている。

Tuesday, July 16, 2013

ストリート観察のすすめ ミラノファッション


あるストリートファッションのブロガーが、最もインスパイアされる街にミラノをあげたと聞いた。世界中の道端で、お洒落さんを追っかけて写真を撮っている人が言うんだから、説得力があるはず・・・・・。それ以来、僕もキョロキョロ観察しながら歩くことにした。

世界の情報発信の中心地ニューヨークには住んだこともあるし、すべてが小洒落たパリにも何度も行ったことがある。そんな強豪を押しのけて、 我が街ミラノが世界一の座に輝くとは、いかなる所以か?

 
乾いた太陽と相性が良いサマードレス
ベルトで腰回りのラインを見せるのがポイント
女優のクラウディア

確かに流行の特別な服装をまとっているわけでもないのに、格好の良いミラネーゼが確かに結構いる。僕の観察の成果としての意見は、彼らが格好良い理由は多分、服のサイズが体に合っているからだろうということ。

そういえば、近所にも、たくさんのお直し屋がある。需要があるからか、歩ける範囲内だけで5〜6軒。自分サイズにきっちり直した服は生地が体に綺麗に落ちて、服が立体的に見える。スーツなんかは当たり前、ジーンズも裾丈どころか幅も。。。ドレスだって絞れるところは絞って、Tシャツまで直す人もいるらしい。まあ、20世紀の大量生産がはじまる以前の時代には、一着ずつ縫っていたわけだから、直すくらい当たり前なのかもしれない。

新鮮な魚介料理で知られる「Ristorante 13 Giugno」の名物オーナー 
サヴェリオさん ミラノを代表する伊達男の一人
お店で自ら歌う事もあるエンターテーナー

ちょっとおなか周りに貫禄が出て来たオヤジさんだって、それを隠すためにゆったり目の服を着るよりも、サイズの合った服を着た方がセクシーなのを知っている。対して女性も胸元やウエストを強調した服を来て、視線浴(?)にも慣れている様子。ギリシャ、ローマ文明から続く人間賛美、生の絶対肯定の地中海の思想に根ざしていると考えるのは大げさだろうか。

そして、見られる感覚を研ぎ澄ませるには、道端の劇場の役割を果たすピアッザ(広場)が、一役買っている。街の中心や教会の前などには、ピアッザがあって、近くにはコーヒーやアペリティーボ(食前酒)を飲むためのバールなどがある。「じゃ、ピアッザにでも行こうか?」「何しに?」「人を見に、そして見せにいくためさ(Per vedere e farsi vedere)」などという言い方もあるとか。

そんな人生を楽しむ人の生き方が、ブロガーをインスパイアしているに違いない。ミラノに来たら、ショッピングの合間に、ピアッザのバールの席に腰を下ろして、そんなミラネーゼを眺めてみてはどうだろう?



全日空機内誌「翼の王国」
2013年5月号の巻頭コラムより加筆転載しました。

Saturday, June 29, 2013

撮影で垣間みたアルマーニの秘密

想像さえ寄せ付けないバイヤー時代のアルマーニ

モード界の帝王、ジョルジオ・アルマーニ(1934年7月11日生まれ/蟹座、動物占い:物静かなひつじ)は、マルチェロ・マストロヤンニやソフィア・ローレンなど往年の名優や、レナルドダヴィンチやボティチェリなどのルネサンスの芸術家と並んで、世界で最も知られているイタリア人の一人なのではないだろうか?ことファッションに疎い人でも、「アルマーニの名前だけは知っている」と言う人も多い。どうして、彼はこんなにも有名なのか? 

 

驚くべき事に、彼がファッションブランド「GIORGIO ARMANI」を立ち上げたのは40歳を過ぎてからだという。


ミラノのデパート「リナシェンテ」のバイヤーだった頃の彼はどんな若者だったのだろうか?普通のミラノの若者同様に、友達と出歩いたりしていたのだろうか?そんな私たちの陳腐な想像力を全く寄せ付けないくらいに、彼のオーラは完全に「帝王ジョルジオ・アルマーニ」なのである。彼は30年の間にファッション界に大帝国を作り上げてしまった。



若者がたむろするミラノの夏(写真:仁木岳彦) 


GiappoでSTILE ARMANIなもの

家具、食器、グラフィックデザイン……そしてもちろん洋服でも、とにかくシンプルで上質なミニマリズムを見つけたときに、イタリア人の若者が「GiappoでStile Armaniで格好いいね」と、口にしたりする。「Giappo」は若者のスラングで「日本っぽい」の意らしい。「日本っぽくって、 ちょっとアルマーニスタイルだし、行けてるね」という意味なのだろう。
ミニマリズムの美の代名詞といえば、日本とアルマーニなわけだ。そんな言い方がされるくらいに、彼の美の哲学は人々に根付いてしまっている。その明確でダイレクトな美のメッセージは、世界中に受け入れられたと言っても良いだろう。
ミラノにある「ARMANI NOBU」という日本食レストランに行くと、経営者であるアルマーニ自身もたまに食べに来る。私も出くわしたことがあるのだが、彼のお出ましが、なんと言ってもこのレストランの最大のイベントと言っても良いだろう。帝王おでましのときは、客達が控えめにざわめく。しかし、そんなことは気にもせず、辺りを見まわして、曲がっているテーブルなどを几帳面な感じで自分で直していたりする。「実際に知られている通り、几帳面で、完璧主義者なのかもしれない。しかし、案外若い頃には苦労した人なのかもしれないなあ……」などと、私は勝手に思いめぐらしたりしたのだった。



GIORGIO ARMANI(写真:仁木岳彦)

性能の良いラジオ、完璧なポートレート

そんなジョルジオ・アルマーニのポートレート撮影のときには、うやうやしく付き人が何人もついてきた。付き人のボスが撮影に関して、細部に渡っていろいろと指図してくるのだが、私は聞くだけ聞いて、あまり気にしない事にした。アルマーニ自身との会話が普通に交されている以上、そちらを優先すべきだろう。なんと言っても、被写体の彼自身が、私の欲していることに、注意深く耳を傾けてくれていたのだから。
撮影を始めてしばらくは、いつも通りのお決まりの笑顔を投げかけてくれた。しかし、それがいかにも”アルマーニ・スマイル”だったので、ファインダー越しに「もうちょっと真面目な顔、お願いできますか?」と聞いてみた。「No! No Serious, please!」と付き人が叫んでいる横で、アルマーニは私が正に求めていた、物想いにふける静かで完璧な表情を返してくれた。
撮影中に、フォトグラファーの私がエネルギーを吹きかけると、アルマーニの体の中を何のブロックもなしに、そのまま突き抜けて行く感じがした。彼のアンテナは、私が必要としていることを的確に受信していた。そして、そのエネルギーを何倍にも増幅させて、私に返してきたのだ。格段に性能の良いラジオの様だった。今まで何千人ものポートレートを撮って来たのだが、この増幅作業において彼以上の人に会った事はない。撮影は、ほんの数分だったのだが、彼のスタイルを象徴するような静けさの漂うミニマルなものとなった。 

同じようにして、彼はそのアンテナで、市井の人々と時代が渇望しているスタイルを的確に受信することができるのだろう。そして、それを臆することなく最大限に増幅して世界に発信してきたに違いない。

撮影を通して、そしてまた出来上がったポートレートをしばし眺めて、“モードの帝王”の秘密の一部を垣間みた気がした。 



(本文は、2009年の集英社ウェブウオモから加筆転載したものです。)

Thursday, May 9, 2013

ソーシャル ネットワーク ダイアリー


フランチェスコ仁木岳彦
個展
ソーシャル ネットワーク ダイアリー

オープニング パーティー
2013年5月29日
水曜日
午後6時半から午後9時くらいまで

展示
2013年7月10日
水曜日まで

会期延長
2013年7月18日
木曜日まで

ーArte Giapponeー
Vicolo Ciovasso 1(ブレラ地区)
20121 Milano

Tel. 02-865138
www.artegiappone.com

営業時間
午後2時から午後7時まで
 月曜、土日祭日は休み


Friday, April 26, 2013

大人のヨーロッパ街歩き




BS日テレというチャンネルの「大人のヨーッロパ街歩き」という番組に出演します。4月30日(火曜日)の午後7時から。

 http://www.bs4.jp/guide/document/e_machiaruki/

ネタバレになりますので、ここでは多くは語れませんが。。。2000年からのミラノ生活も13年目に入り、その経験が多少なりともお役に立てればと。。。
 

Thursday, December 20, 2012

行方不明の友人、聞こえて来た声


同窓会にこないS

私が卒業した大学は、伝統的に海外志向が強いことで知られる。海外の大都市には、たいてい同窓会組織があり、私が住むミラノでも、時折ながら会合が開かれる。最近の傾向としては、若い人なども遠慮なく参加する事だろう。それぞれの属する世界の裏話などで盛り上がり、知見や友人の輪を広めるようなものとなっている。先輩に対する大げさなお酌などは必要ない。

その年の会合は、日本的に言えば、忘年会シーズンに行われた。ミラノの冬は、空気が湿っているせいで太陽の光も届きにくく、暗く寒い。考えようによると、みんながどこかに集まって、美味しいご飯でも食べたり、お酒を酌み交わすには最高の季節とも言える。スカラ座のオペラシーズンが冬なのも、うなずける。こんな冬でも、せめて楽しくやろうよ!と言うミラネーゼの心意気なのだ。

霧のミラノ。Vittorio Emanuele通り。光が柔らかい。


このシーズンに抵抗力の落ちる事もある私はその年の忘年会シーズンは、疲れ目が極限に達していたせいか結膜炎気味に目が赤く充血していた。撮影での目の酷使と、コンピュータースクリーンのバックライトが疲れ目に追い打ちをかける。目薬を差しても、目の前が霞んで良くは見えなかったのをよく覚えている。

その忘年会を兼ねた同窓会は、いつもの中華レストランでのいつもながらの雰囲気だったのだが、ひとつ不可解な事があった。出席するはずのSが来ていなかったのだ。割と律儀な性格のSの事だから、来ないなら携帯で連絡をよこすはずなのだが。。。同窓会の途中に、何度が電話をしてみたが、返事もなし。不思議な事もあるものだ。まあ、そのうち何か言ってくるだろうと、あまり気にせずにいた。


ルームメートからの電話

次の日の朝、、、Sのルームメートからの電話のベルで飛び起きた。Sが行方不明だと言う。いつもは、おおよその帰宅時間なども伝えるSだっただけに、数日帰ってこないのは、絶対に何かがおかしいという話だった。

確かに、それはおかしい。出席予定だった同窓会に無言で来ないのも不思議としか言いようがなかったのだ。

バイオリン制作をミラノで学ぶS。彼の主な行動範囲は、バイオリン制作の学校、師匠の工房とアパート。彼のルームメートを中心にして、学校の先生や友人達、我々同窓会の仲間達で、知恵を出し合い手分けして情報などを集める事とした。

同窓会メンバーの意見で、警察への捜索願いだけでなく、在ミラノ日本領事館にも行方不明捜索願を出そうと言う事になった。それで日本の両親にも連絡が行く事になるだろう。ここは、「なるべく心配をかけない様に」などと心遣いをしている場面ではない。どんな手を使ってでも探す事が先決だろう。

まずは、共通の友人達に電話をかけまくった。Sの最近の様子、最後に会ったのはいつか?できるかぎり、様々な人たちと話した。しばらくすると、電話が熱くて持てなくなるくらいに加熱していた。だが、特別に不思議な様子は、何一つ見当たらなかった。

ただ、彼のブログには、「最近、イタリアの銀行の口座関連で厄介な事に巻き込まれている」と書かれていた。東欧の都市で現金が勝手に引き出されていたりしていて、その対応に追われているという事だった。

同窓会の先輩は、ルームメートにSの部屋へ入って、コンピューターのEメールの内容なども見てもらう様に提案した。まず分かったのは、Sの携帯電話が部屋にあったと言う事だった。私たちが、いくら彼に電話してもつながらなかったわけだ。部屋はいつも通り雑然としていて、片付けられていた様子はなかったと言う。コンピューターのメールのやりとりなども調べてみたのだが、特別な内容はなかった。

 Sに修復してもらった私の祖父のバイオリン。
バイオリン制作者はイタリア語では「Liutaio」と呼ばれ、
ビオラ、チェロ、ベースなどの弦楽器全般の制作と、古い弦楽器の修理修復が仕事となる。


行方不明、考えられるあゆる可能性

どんな可能性があるのだろうか?ルームメートや、同窓会メンバーと話した。

まずは自殺の可能性。私はそれはないと思ったのだが、人の内面は分からないものだと説得されると、確かにそうかもしれないとも思えて来たのだった。

北朝鮮の拉致。Sは元々、理工学部の卒業で、カメラメーカーで精密機械の設計をしていた。西洋芸術にも通じているインテリで、今やバイオリン制作者になろうとしている。ある意味では変わり種でもあり、北朝鮮などにとっては、マルチに使える人材なのかもしれない。可能性がないとは言い切れない。

なんらかの理由で病院に運ばれている可能性。または、なにかの事故で死亡してしまった可能性。いくつあるかわからないミラノ市内の病院などをしらみつぶしに探して歩くのは、現実的に無理で、何週間もかかるだろう。それよりも、警察と領事館に捜索願いを出しているので、もしそうならすぐに出て来ても良いはずだった。

他殺。例えば、ルームメートなどが殺人鬼で、押し入れに死体遺棄されているとか。。。

駆け落ち?まあ、それなら良いのだか、そんな粋な奴だったのだろうか?

そして、彼のブログに書いてあったイタリアの銀行口座が、東欧で引き落とされていると言う事件に本格的に巻き込まれた可能性。東欧マフィアによる誘拐など。

こういう時は、すべての可能性を考えてしまう。そして、どの可能性も、まったく否定する事はできなかった。インターネットで、「海外 行方不明」と検索すると沢山のページがでてきた。毎年、数百名の日本人が海外で行方不明になっていて、その大部分は未解決のままだと言う。Sも、そんな日本人の一人になってしまうのだろうか?

なんの手がかりもつかめないまま、時間が過ぎていった。Sが行方不明になって、数日後の日曜日は、日本人学校で毎年12月に行われる年一回のお祭り「La Festa」があった。それは、お茶、尺八、折り紙、書道などの日本の文化や、餅つきやお団子、おでん、お弁当などの食文化にも触れようと、在ミラノの日本人や、親日のイタリア人が大勢来るイベントだった。一度も行った事のないそのイベントにも、初めて訪れてみた。たくさんの日本人の友人とすれ違った。なにかSの手がかりはないかと各友人に聞いてみたのだが、新しい情報はなかった。ただ、たくさんの人が行方不明の事をすでに知っていて心配していた。無事を祈願して、祈りを捧げていると言う話も聞いた。日本人のコミュニティーというのは、普段から、そんなに強い結びつきがあるわけではない。でも実は、我々海外在住者にとって、日本人の友人と言うだけで、お互いをとても近いと感じている事も分かった。Sの行方不明についても、人ごとではない出来事として、みんな親身に思っている様子だった。思えば、家族や親戚もいなく、単身で来ている人も圧倒的に多いわけで、いざと言う時に頼れるのは、同郷人である場合も多い事だろう。

Sのアパートに立ち寄ると、同窓会のメンバーの一人も来ていた。ルームメートは、自分の携帯とSの携帯を持ち、ひっきりなしになる電話を、2丁拳銃のように両手で対応していた。その丁寧で心のこもった対応に、彼の人柄を見る様な気がした。一つの可能性が消えた。このルームメートが殺人鬼なわけがない。そして、確かにSの部屋の中は散らかっており、自殺の可能性もないと私は踏んだ。自殺するなら、もう少し整理する事だろう。あと、私の知っている限りのSは、思慮深くとも、思い詰めるタイプではない。

Sが行方不明になってから数日は、スパイ映画の登場人物の様に考えられるすべての可能性を想定しなければならなかった。脳みそのいつもと違う場所を使っているのが、自分でも手に取るように分かった。それは、私の中のなにかが特別に冴えてくるような感覚でもあり、それからくる疲労感は、肉体でも精神でもなく、もっと全体的というか、いつもと違う不思議なものだった。

結膜炎気味の疲れ目に目薬を差しても、光が強いと眩しすぎてよく見えない状態が続いていたのだが、なんとなくミラノ市内をクルマで走らせてみた。そして、カトリックの勉強を私に授けてくれた、シスターマリアの所に向かった。彼女は日本に20年近く住んだ事のあるカトリックの修道女で、ミラノの修道院で日本語とイタリア語を対比しながら聖書の勉強会をしたり、日本語のミサを企画したりしている。修道院の敷地内はミラノの中心部にありながら、完全な静寂につつまれており、独特な雰囲気がある。お御堂では、いつも世の平和を願う修道女達が、人生のすべてをかけて祈りを捧げている。Sはバイオリン制作を学ぶ身で、バイオリンやビオラなどを奏でる事ができた。彼自身はカトリック信者という訳ではなかったのだが、友人の輪のつながりで、クリスマスの日本語ミサなどで弾いてくれた事があった。それでシスターマリアもSの事をよく知っていたのだ。あと、私もいつもと違う疲労を感じていた事もあり、そんな修道院に行って一息つきたいという思いもあった。シスターマリアはいつもの笑顔で迎えてくれたのだが、Sの行方不明の話も、まったくうろたえる事なく、真剣に聞いてくれた。修道女と言うのは、意外に血なまぐさい話にも慣れているのだ。独裁者や軍部が支配する国などに派遣されている修道女仲間とは暗号でコンタクトを取りながら、なんらかの救済を試みている話も聞いた事があった。一部の修道女は世の闇にも、それなりに詳しいものなのだ。一通り聞いて、東欧マフィアはかなり質が悪いという話にも及んだ。「いずれにしても、祈っておきますから」と言ってくれた。祈りのプロフェッショナルの言葉に、なんとも心強いモノを感じた。

 
朝霧の電車通り。
ミラノの電車の線路は、車道を共有する。
線路の上はクルマのタイヤが滑りやすいので、とても注意して運転しなくてはならない。


先輩との電話を切った後、、、聞こえてきた

私達がそれまでに集めたすべての情報をつなぎ合わせると、行方不明になった日の夕方に韓国人の女性のクラスメートが、Sが学校から家に帰る様子をバス停で見かけたのが、彼に関する最後の情報だった。学校がVia Ripamonti、家がPiazza Napoliの近くなので、その日の彼の行動範囲はミラノ市内の南部。普通の住宅街が続く何の変哲もない地域なはずなのだが。。。しかし、一体何が起こったのだろうか?

その日曜の夜の9時頃、同窓会の先輩と電話で話した。「いち外国人の私達が警察に捜索願いをだした所で、真剣に警察が動くとは思えない。日本の外務省からイタリアの総務省へ掛け合ってもらう方向性で、私たちも動いた方が良いのではないか?それこそ、同窓会組織には外交官もいることだろう」。数日前の同窓会の和やかな会合からは、想像もできないような殺伐とした話の内容だった。そして、会話の最後に、その先輩から「仁木さんって、そう言えばちょっとした霊感がありますよね?どうですか?」と質問をうけた。私は確かにシンクロニシティー(偶然の一致)が頻繁に起こったり、自分が光に包まれるのを見たり、夢などで具体的な言葉や地名などのメッセージを受けとる事はあった。だが、お化けが見えたり、彼らと話したり、人の前世や未来をズバリと言い当てる様な世間一般の霊感とは違うものだった。いわゆる人を驚かす様な当てものではないのだ。「いや、そういう霊感じゃないんすよね」と言って、まずは電話を切った。

その後「んー、霊感ねえ」と想いながら、何となく居ても立っても居られないような感覚に襲われた。心のこもった対応をしていたルームメート、多分日本で何がなんだか分からないまま心配をなさっているご両親、そして我々ミラノの友人達の無事を祈る気持ちが尊く感じた。そして、悪気のない、人間の良心のエネルギーのカタマリの様なモノが私の中に入り込んで来た。そのパワーが私を突き動かしはじめた。

先輩との電話を切った後、「Niguarda」というミラノ市の北はずれの地名が聞こえるような気がしていた。それは音として「ニグアルダ」と聞こえるようでもあり、文字としてフラッシュバックのように「Niguarda」と見えるようでもあり。。。

例えば、バナナを仕事帰りに買わなければならないとしよう。忘れないように、「バナナ」という音を耳の中で反復してみたり、「BANANA」という文字列を頭の中で考えたり、あるいは「黄色いバナナ」を絵として思い返したりする事だろう。受験の勉強などでも何かを覚えようとする時は、そんな感じで脳の中で反復しながら覚えたはずだ。

とにかく、そんな感じで、「Niguarda」という声が、私の意思とは関係ないところで、頭の中で勝手に反復していた。しばらくすると、それがうるさいぐらいに、こだましてきた。しかし、確かNiguardaと言うのはミラノの北の地域なはずで、Sの行動範囲はミラノの南なので、まったく逆方向だった。理性的にはあり得ないと思ったのだが、興奮状態で体が勝手に動いた。

この「Niguarda」と言うのは一体なんだんだ。。。「なんて自分はバカなんだろう、そんな事あるわけないのに」と思いつつもコンピュターの前に座り、スペルもよく知らないのにも関わらず、適当に検索エンジンに「Niguarda」の文字を入れてみた。トップにはNiguarda地区の病院のウェブサイトが出て来た。そう言えば、高速道路を降りてミラノ市内に向かっている時などに、病院のマークにNiguardaと書いた標識を見た事があった。Niguarda地区には大きな病院があるのだろう。そして、そのサイトを見てみると、探すまでもなく、すぐに救急病棟の電話番号が目に飛び込んで来た。
Niguarda病院の標識

そういえば、救急車でボランティアをしている友人が、病状によっては、病院の得意不得意があり、遠くの病院に運ぶ事もたまにあると言っていたのも思い出した。しかし、病院なら警察か領事館が、まず最初に調べてくれているはずなのだが。。。

様々な思いや考えがよぎったものの、イチかバチか。とにかく、その勢いで救急病棟の電話番号に電話してみた。
「自分の友人が行方不明なので、ここ数日の間、探している。もしかしたら、そちらの病院に運ばれているかもしれないので、調べてもらえないか?」
私の興奮とは裏腹に、電話の向こうでは、極めて普通の軽い感じの事務的な応対だった。

そして、Sの名前を口頭で伝えると、なんと「その名前なら木曜日の夕方に、ここの病院に運ばれて来たって記録があるよ」と言う。私の興奮がピークに達した。Sは、ちょうど木曜から行方不明だったのだった。「で、彼は今どうしてるかわかりますか?生きてるのか、死んでるのか?今、どこにいるのか?」と聞くと、「明日の朝にまた電話してくれる?」とそっけない返事だった。もう夜9時過ぎで病院自体は閉まっているし、救急以外は時間外だから、そういう特別な対応はできないらしい。

しかし、糸口はつかめたのだ。興奮が冷めないまま、すぐに先輩に電話した。「そういう霊感じゃないんすよね」と言って電話を切ってから、15分も経っていなかっただろう。いつも冷静な先輩もその時ばかりは「えー、すごいですね」と声をあげた。「この場面は、日本領事館に連絡するべきだろう」との先輩の即座の判断で、担当外交官にすぐに連絡する事になった。あとは、外交官が、なんとか調べてくれるはずだ。

そして、一時間もしないうちに、外交官が病院に行ってSの無事を確認してくれて、私達にも連絡が来た。外交官には特別なアクセス権のようなモノがあるらしい。病院が閉まっている日曜の夜だったにも関わらず、Sが寝ていたNiguarda病院の集中治療室まで行って、外交官の携帯電話から直接日本の実家にも電話をして、S自身の声で無事を伝えたと言う。事故に巻き込まれ、右側の肋骨を10カ所折っているものの、内蔵も頭にも全くダメージはなく、まったく命に別状はないと言う事だった。

まずはバスタブに湯を張り、体を暖める事にした。それは、今までに感じた事のない種類の疲労感だった。人間は普段、自分たちの脳の数パーセントしか使っていないと聞く。我々の普段の生活は、多分、脳みその同じ場所ばかりを使って、グルグルとリピートしながら生きているのだ。その数日間は、普段は使っていない脳みその箇所が作動していたようだ。スパイ映画の様な推理するための脳、そして、直観霊感の脳。オーバーヒートしそうな感じだった。

バスタブからあがり、Eメールをチェックすると修道女シスターマリアからメッセージが来ていた。「夕飯の後、修道院のシスター全員50人ぐらいで、S君のためにお祈りとマリア様の歌を捧げておきました。彼の無事を心から祈っています。なんらかの奇跡が起きますように」という内容だった。

私は、興味本位ながら、「シスター、何時頃に祈ってくれたのですか?」と聞いてみた。「夕食の後だから9時ちょっと過ぎかしら」という答えだった。ちょうど「Niguarda」という声がこだましてきて、私が興奮しながらネットで調べたり、電話をかけたりした時間と一致していた。

先輩の霊感に対する質問と、みんなの良心と、シスター達の聖母マリアへの祈りと、色んな事が味方をしてくれて、私の直観が作動したのだろう。「Niguarda」という声を聞いた通り、Sはその地域の病院にいたのだった。いくつあるか分からない病院をしらみつぶしに電話したのではなく、一本目の電話で彼の居場所を探す出す事ができた。普段の私には、こんな能力はない。


シスター達に、あの日に歌ってくれたアヴェマリアを再現してもらった。
マリアバンビーナ修道院。


Sの良心から出た行為

翌朝、面会時間の少し前に病院に着いた。集中治療室の入り口には、すでにSの携帯電話を手にしたルームメートが来ていた。集中治療室と言うからには、Sの怪我もどんな状態なのか、まったくわからない。包帯でグルグル巻きになっているかもしれない。元来、病人や病院が苦手なので、色々と想像してしまった。

面会時間がはじまってすぐ、ルームメートと集中治療室に向かった。思ったよりも元気そうなSの姿があった。麻酔で頭が多少ボーとしている感じはあるもの意識も普通な感じだった。

雨の日にクルマの車窓から撮った。
湿気のせいでガラスがくもって、よく見えない。

学校から帰る途中、冬の雨が降りしきるPiazza Napoliの十字路で乗り換えのバスを待っていた時に、Sの目の前で交通事故が起こったと言う。Sは雨で濡れる混乱した事故現場の整理を手伝い、事故で倒れていたバイクを立て直そうとしていた。その時に別のクルマが十字路に入って来て、Sの近くまで飛び込んで来た瞬間までは覚えているとの事だった。事故現場で渋滞が起こり、そのイライラがまた別の事故を起こしたと言う事らしい。結局は、救急車が4台も駆けつける大事故だったそうだ。その日偶然、携帯電話を家に忘れたせいで、誰にも連絡ができず。。。バイオリン製作の学校くらいは、調べれば電話番号も簡単に出てくるだろうと考え、看護師やドクターに連絡を取りたいと交渉を試みたそうだ。ただ、集中治療室で麻酔が効いている病人が寝ぼけた感じで言っていたので、「まあそれよりも、今はゆっくり休め」と言う感じだったそうだ。加えて身分証明書を持ってなかった為、名前を聞かれて口頭で答えたのだが、日本人の名前なので最初の記録はスペルが間違っていたとの事だった。それで警察や領事館が探せだせなかったのかもしれない。私が電話した時にはスペルを直した後だったのか、もしくは、彼が運ばれた救急病棟にピンポイントで、しかも口頭で聞いたために、スペルミスがあっても探し出せたのかもしれない。Sの名前を発音する時に、私もS同様に日本語訛りで発音したのが、効を奏した可能性もある。。。いずれにしてもSは生きていた。しかも、淡々と現実を受け入れていて、想像以上にしっかりしていた。

色々と話している間に昼食の時間になった。「イタリアの病院食は意外に美味いんだよ。イテテ。ちょっと手伝ってくれる?」と、Sがノン気な感じで言った。

その頃には、私の結膜炎気味の疲れ目の充血も完全に直っていた。

Sが事故にあった状況は、目の前で起きた事故に手を差し出していたと言う人間の良心が元になっていた。事故そのものや怪我は大変な事だったとは言え、色んな意味で人間の良心がぐるりと一回転した様な出来事だったと、私は思っている。

退院した後は、マッサージなどのリハビリに励みながらも、バイオリン製作の修行を続けていた。あの頃、体の右側は疲れやすいと言っていた。そんな経験が、その後の制作活動や、バイオリンの音にどんな影響を与えるのだろうか?現在では、そんなミラノでの修行も無事に終え、日本でバイオリン工房を開いている。


偶然の意味を読む解く

「Niguarda」しかし、あの声は一体誰の声だったのだろうか?私は、あの声を発していたのは、聖母マリアだと思っている。以前、異次元の扉が開いた時、聖母マリアが話しているのを垣間みた事があった。ただ、その時は話の内容が分からなくて、悔しい思いをした。今回は一言とは言え、重要なメッセージをくれ、理解できた。そして、その声を聞いた同じ時間に、聖母マリアに捧げる祈りの歌「アヴェマリア」を修道女達50人程が歌ってくれていたと言うではないか?単なる偶然かもしれない。ただ、信仰とは、その偶然の意味を読み解くところからはじまる。もしくは、未来の科学は、こういう現象を論理的に説明している事だろう。とんだ災難にあったとは言え、こんなチャンスを私にくれたSにも感謝したい。

蛇足になってしまうかもしれないが、映画「スター・ウオーズ」で、師匠オビ=ワン・ケノービの「フォースを信じろ」という声を聞いて、ルーク・スカイウォーカーが戦闘機の照準装置をはずす闘いのシーンがある。それが幸いして、見事、ターゲットに命中する。僭越ながら、かつバカにされるのを覚悟で言うと、Sを探していた期間、私は疲れ目が結膜炎気味に充血していて、目がかすんでクリアに見えなかったのを、それになぞらえたい。写真という視覚芸術に携わりながらも、視覚や表層にとらわれていては、物事が的確に見えないという事もあるのではないか?我々は目を使いすぎているのかもしれない。五感どころか、第六感や祈りも駆使して物事を捉えなくてはならないのだろう。我々が普段見えている世界は、とても窮屈に限定された狭い視界にすぎないのかもしれないのだ。